博多メイはりきゅう院
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  • 武道 その12

    8月15日は、昨年もブログに書きましたが、「敗戦日」であって「終戦記念日」とは思いません。日本人は奥ゆかしいので、言いにくいことはオブラートに包み、はっきりとは言いません。

    日本人の誰しもが戦争は嫌いです。先の大戦でも悲惨なことが起きました。そしてそれを語り続けることは大切ですし、先人の義務でもあります。しかし悲惨だから「戦争反対」と言うのは、そこで思考停止してしまいますし、単純過ぎます。

    「戦略」と言う言葉は軍事用語ですが、政治家や経営者が好んで使います。しかし日本においては軍事面に於いてこそ「戦略」が不足していると思います。

    「戦争」は、何万人死のうが「犯罪」ではありません。何故ならどちらも「自分が正しい」からです。どちらかが悪ければ「犯罪」です。そしてそれは「外交」の延長上にあります。たいていのことは「外交」で何とかなりますが、どうにもお互い譲れない場合に「戦争」になります。

    国内だとこういう場合は警察も裁判所もあります。世界にはそのようなものはありません。
    国際連合は各国の思惑で纏まらないし、国際司法裁判所も力はありません。現在はアメリカという「大親分」の傘下にいるだけです。そしてこの方の思惑は分かりませんし、最近歳を取って来た様に思えます。尚且つ日本も以前ほどは上納金が稼げなくなって来ました。

    不幸にして戦争が起きた場合、「私は戦争には反対なので、戦いません。」とするなら、相手国の好き放題になります。平和な時は、この世で一番大切なものは、「自分の命」と思って間違いありませんが、非常時には「自分の命」より大切なものがあるように思います。

    もし自分の住まいの地域が洪水で流され、隣のお宅との境界が分からなくなったとします。
    法務局でも判断が着かなくなったとすれば、お互いの主張にかかって来ます。自分の方は「境界はここだ!」といくら言っても、隣は札付きの乱暴者で、代々「ウチはここだ!じいさんからそう聞いている。」と言われればラチは明きません。例えこちらが正しくても、じいさんからそう「教育」されていれば、隣の人は「自分の方が正しい」と思っています。

    取り合えず、しばらくは「非武装地帯」として放っておいても、隣が家を建て始めたら揉めますね。
    これが今の日本なら揉めて殴られるのはイヤなので、どんどん敷地が減って来ます。

    取り返しが着かなくなっても、「暴力反対!話し合いで!」とただ叫ぶだけでしょう。
    「未来の子供たちのために!」というフレーズが大好きなら、我々「今の大人」はもう少し頑張りたいですね。

    話は全く飛びますが、
    今回のオリンピックの柔道は残念でした。特に男子が・・
    以前ブログに書きましたが、日本人は世界的に見ると、男女の体力差が最も少ない人種らしいです。そしてもともと男が弱すぎます。

    以前日本人は子供の頃から柔道をやっていました。したがって外国人より体力的に劣っていても技術で何とかなりました。しかし東京オリンピックで採用されて以来50年近くが経過して、各国も何十年も取り組んで来ました。

    「柔道」は「武道」ですが、オリンピックという「スポーツの祭典」に参加して競技する以上は「スポーツ」でなければその資格はありません。

    これも以前に述べましたが、「武道」は「スポーツ」ではありません。武道にはルールも、相手の人数も、時間も、場所も、道具も、決まりはなく、逃げることも構いません。従うのは自分の倫理観と法律だけです。「スポーツ」はそれとは全く逆で、ルールに則り正々堂々と戦わなければなりません。

    柔道もオリンピックの中でスポーツとして勝ちたければ、「スポーツとしての戦略」が必要ではないでしょうか?
    大きな目標を立て「ヒト、モノ、カネ」をどう有効に使うか、少なくとも選手の自主性に任せたり、逆にしごいたりすることではないでしょう。監督だけの責任でもないでしょう。監督は「中間管理職」のように思えました。

    「一本獲る柔道を目指す!」というのは、「武道」でも「スポーツ」でもなく、「芸術」のような気がしました。

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