最近2年くらい愛用している腕時計はダイソーで5百円だ。
この前電池が切れたので、ホームセンターに行った。
修理コーナーにいる馴染みのオヤジが「これいくらした?」
「5百円だけど」
「電池交換9百円だよ。同じもの買った方がいいちゃないと?」
「あのねー オレらの時代は万年筆、自転車、腕時計は宝物だったよね。高校入学の時に親から買ってもらったセイコー5自動巻は1万2千円だった。高卒初任給の半分か3分の1だったよ。オレ達にとって腕時計っちゃそういうもんやろ?」
「7百円でいいよ!」
話は変わるが、
1930年頃 父が中学の水泳の授業中にロレックスを盗まれた。
アメリカにいた親に手紙を書いたら、すぐ又ロレックスが送られて来た。
その頃日米の所得格差は百倍くらいあっただろう。
そのロレックスで家が建っただろう。
父は「盗んだヤツは価値が分からんかったろう。オレも分からんかった。」
よくそんな国と戦争したものだ!
繰り返すがオレの時計は5百円だ!
ふと昔のことを思い出した。私は親にとても可愛がられて育ったと思っている。
母親から「おまえは世界で一番かわいい!」と。
幼稚園に入った時、2日目に「それは違う」と思った。
「かあちゃん!ウソはいかんよ」
母親の言ってた意味が分かるまで10年はかかった。
当然 私に幼稚園で、世界で一番ではなく二番だと気付かせた男がいる。ソノダ君だ!
背が高く運動神経抜群、頭も良くキリッとした目鼻立ち。小学校も一緒に通学した。
彼はその後歌手で俳優になった清・健・郎だ!残念だ!
最近よく昔のことを思い出す。
50年前父親がU首の下着で街を歩き始めた。
母親が「下着で街ウロウロせんでよ!」「エイジも着とるやないか!」「あれはBVDであんたのは福助かグンゼやないね!」「なーんも違わん!」
東京に進学していた私が夏休みに白のTシャツで帰省したのが原因だった。
それまでで父母が見かけたTシャツ姿は進駐軍の米兵ぐらいだったのだろう。
話は変わるが、そんな母も70年以上前 父の家に嫁いだ時、アメリカ移民だった舅姑(父の父母)に「デニムのジーンズは街で着たらいかん!あれは労働者の作業服やけん」
「日本の車には電話が付いとらんね」
「ティッシュあったら買うて来て」と言われて意味が分からなかったらしい。
まだ各家庭には車も電話も無かったし、ケツは新聞紙で拭いていた。
よくそんな国と戦争したものだ!