今回は武道に付き物の「他流試合」について述べます。
私らの学生時代でも既に「頼もう!」とやって来て、勝ったら道場の看板を持って帰るなどということはありませんでした。しかし他の武道部との交流もありましたので、親しくなれば、時には一緒に稽古することはありました。
たまに外国人留学生でラグビーやアメフト等のコンタクトスポーツ経験者が日本の武道に興味を持ち、一度対戦してみたいというケースはありました。その頃は今のようにK-1や総合格闘技が海外では一般的ではなかったので、体格が倍近くあっても、パンチや蹴りをきちんと稽古した経験のある者は少なく、パンチは大振り、蹴りの意識は無くローキックを防ぐことができません。勝てなくても何とか対応できていました。
少林寺拳法部内でも、
「世界けんか旅行」が平凡パンチ(当時はプレイボーイと並ぶ人気の男性週刊誌)に掲載されたA先輩。
休学してイスラエルのキブツ(いわゆる集団農場)で働き、その宿舎で寝ていたら、枕元のパレスティナゲリラが仕掛けた時限爆弾のチクタクという音で目が覚めたB先輩。
1年生の夏休みに四国に帰省した時に空手をやっている友達と河原で試合しノックアウトしたら、直後にそこの師範が自転車で駆けつけて来て逆にノックアウトされたC先輩。
その師範はもうお亡くなりになりましたが、フルコン空手の最大会派の四天王のお一人として著名だった方です。その後はご自分の会派を立ち上げられましたが、その技法や思想には少林寺拳法のそれもかなり参考にされたとお聞きしています。
C先輩はその後毎週のように新宿あたりでフツーでない人たち数人と試合?してました。いつも拳に怪我してました。4年生の時には「今だったら絶対負けない!」と言ってました。
2~3年前福岡に来られた際に、河原でノックアウトされた話を恐る恐るお聞きしたら「オレも若かったよな、オレはグローブ着けてて、師範は素手だったもん・・まあこっちは遊びだけど向こうは仕事だもんな、とんだ営業妨害だよね。」
アメリカに留学してすぐ、「少林寺拳法という武道をやっている」と自己紹介したら、すぐにアメフト部のキャプテンから大学キャンパスでの公開試合(決闘?)を申し込まれ、突進して来る倍くらいある相手をカウンターの蹴りで倒したD後輩。
1970年代 日本人最初のムエタイ王者となった最強のキックボクサーF氏のスパーリングパートナーをしていたE後輩。
ボクシング部監督の白鳥金丸教授は他の武道に対して非常にオープンで、惜しみなくパンチのテクニックを教えて下さいました。東京オリンピックではライト級で出場されメダル確実と言われてましたが、残念ながらメダルはバンタム級の桜井孝雄氏の金メダルだけでした。
少林寺拳法部の隣では、先に述べたフルコン空手の最大会派のK真空手部が稽古をしていました。主将は自衛隊を退職し、部を立ち上げるため入学して来た、同学年ながら3歳上のA氏でした。既に巨岩のような体でした。卒後2年で全日本選手権で優勝されました。現在はD道塾を主宰され、突き蹴りに投げも取り入れたユニークで実戦的な試合形式を確立されています。
話は飛びます。
しょぼいですが私事です。でも負けた話なんぞするつもりはサラサラありません。
4年生の秋、既に幹部交代もして気軽に稽古に参加していたら、礼儀正しい「他流試合希望者」が現れました。「お手合わせをお願いしたい」とのことです。
まわりを見ても最上級者は私だけです。後輩に強いのはいくらでもいますが、仕方ありません。
「私たちの空手の攻撃はだれも防げず、私たちの受けはだれも破れません。」
私はとっくに就職は決まっていましたし、ここで怪我なんぞしている場合ではありません。
何とか穏便にお引取り頂きたい一心ですが、理屈やノーガキで負けるつもりもありません。
「うーん?それってホコとタテですよね。矛盾でしょ!おたくら同士で闘うとどうなるんですか?」
「厳しい試合になりますね。簡単には決着しないでしょう。」
「そそそれっておかしいでしょ?それって防御の方が優れていることにはなりませんか?」
「いやいや やってみれば分かりますって!」
先日テレビでTけしさんが得意のN嶋さん話をしていました。
アナウンサー「N嶋さん この試合どんな展開になると予想されますか?」
N嶋さん「厳しい戦いになるでしょうね。この試合1点でも多く獲ったほうが勝つでしょう。」
どこの世界にどのスポーツに、1点多く獲った方が勝たない試合ってあるのでしょうか?
しかしN嶋さんが言えば、矛盾してても深い!
「分かりました。私がお相手しますが、ルールはそちらが決めて下さい。私の方は目と股間以外は何でもアリで結構ですが・・もちろん倒れたり気絶した相手への二次攻撃はナシで・・」
「パンチや肘打ちでの顔面攻撃はナシにしましょう。」
「それだったらグローブしましょうか?」
「グローブすると、我々の突きは威力が減殺されるので・・」
「そんなことも無いでしょうけど・・分かりました。」
「時間はギブアップかノックアウトまででよろしいですね?!」「構いません」
幸運なことにすごく弱い相手でした。
ワンツーストレートで牽制して、首相撲から膝蹴りを入れたらうずくまりました。
「もうよろしいですか?」
「いやいや 私たちの空手にはツカミはありません!ツカミ無しでもう1本お願いします!」
今度はローキックを数回蹴って意識を下に向けさせ、ローからハイキックの段蹴りを決めると脳震盪を起こしました。
「もうよろしいんではないですか?」
「今日はこのくらいにしておきましょう。」
「ありがとうございました。」
おおらかな時代でした。
話は又飛びますが、
先日国会議員T元さんが「憲法96条変えるのおかしいでしょうよ! スポーツではルール変えないでしょ!自分の都合の良いようにいつも変えてたらフェアじゃないじゃないですか!」
いやいやスポーツ団体ほどルールを変える組織はありません。
スキージャンプ、平泳ぎ、ラグビー、野球のボール・・
日本人が変えたがらないだけです。変わっても必死にそのルールに適応しようとする。やっと適応した頃に、又ルールを変えられる。農耕民族だからでしょうか?不都合でも外圧は自然災害の一つのように捉えます。自分から打って出るようなことはしません。
少しは変わらないと、この国はモチません。
またまた話は飛びます。
私らの頃は、国内の同学年は200万人、今は100万人です。でも大学進学者は私らの頃は25%、今は50%くらいでしょうか?したがって大学生の数はあまり変わりません。
でも長引く不況で、地方の子たちは大都会に進学しなくなりました。海外留学も増えていません。もしも余裕があるならできるだけ親元や自分のテリトリーから出てみるのも良いと思います。他流試合やってもいいじゃないですか?
早稲田大学少林寺拳法部はまだマイナーな運動部ですので、野球部、ラグビー部等のようなスポーツ推薦制度はありません。でも社会科学部の自己推薦制度もあります。もちろん高校時代の活躍とある程度の学業成績は必要です。御検討頂ける方がおられたら嬉しいです。
今回は自慢話タラタラのリクルートになりました。