以前もブログに書いたが、50年以上前中学校で計算尺の授業があった。
小学校ではソロバンを習った。計算尺は掛け算や割り算が得意だ。
エンジニアだった父の作業服の胸ポケットにはその15センチくらいの定規のような白い板がいつも入っていた。
カシオの電卓を目にするまでその後5年はかかった。
「ヘンミ式計算尺」と言った。私は長らくヘンミはドイツ人だと思っていたが、オトナになってから「逸見」さんという日本人だと分かった。
話は変わるが、
昨日「芋ケンピ」を食べた。好物だ。「芋かりんと」とも言う。
サツマイモを細く切った固いお菓子だ。ケンピは又してもドイツ語だと思っていた。ドイツ菓子だと。
何と「堅干」と書くようだ。確かに堅く干してある。高知にその名前のお菓子がある。いくつになっても知らないこと、勘違いしていることが多い。
私は鍼灸を生業としているが、最近はその中でも顔美容鍼の施術をすることが多い。
facebookにも福岡の美人さんたちをしばしばUPさせて頂いている。
福岡の博多美人は秋田美人、京美人とならび「日本三大美人」として有名である。
しかし皆様もお気づきかと思うが、私は九州の他県出身の方をご紹介することが多く、純然たる博多美人をUPしていない。博多に住む私としても忸怩たる思いだ。
ここで大胆な仮説を述べたい。以前「筑後川流域美人説」という貴重な学術論文をブログに発表したが、再度要点をまとめてみる。
黒木瞳、吉瀬美智子、松田聖子、松雪泰子、田中麗奈、吉田羊。
共通点は何か?透き通るような白い肌、ぱっちりではないが切れ長の目、権謀術数に長け気が強い、会社のお局にいたら決して敵に回してはいけない。
実はこの方々が狭義の「博多美人」ではないか?
これを語るには勇気がいる。博多、北九州、筑豊、京築地区などの美人は黙っていないだろう。
あえてこういう理由は福岡は京都ほどではないが、昔から繁栄している都会である。
したがって近隣のエリアから人々が集まる。
以前から申し上げているが、歴史的に欧米人顔が多い長崎、鹿児島や沖縄の島美人、なぜか欧米人顔の美人がいる宮崎(宮崎に欧米人が進出した歴史は聞かないが、私としてはある仮説を立てている。ただ言って良いものか?)。
この多様な美人さんの集積を広義に「博多美人」と呼んでいるのではないか?京都も同じと考える。
「秋田美人」は違うと思う。大陸から船を出せば対馬海流に乗って富山、新潟、山形、秋田あたりに流れ着く。
大陸系の美人だ!背丈もあり色白だ。日照時間も短い。人の交流も多くない。つまり博多や京都とは美人の成り立ちが違う。
さっき自宅マンションの排水管定期清掃があった。
業者の人が「最近の洗面台の詰まりは髪の毛ではなくて、マウスウォッシュなんですよ。
特にリス・・ンでその中でも紫色のやつ。排水管に固まりができるんですよ。LIONのシステマは大丈夫だけど。」
「どうしたらいいですか?」「洗口液を吐き出した後、水道水を3秒間流せばいいですよ。」
話は変わるが、リス・・ンは150年前からアメリカで使われてた。もともとは抗生物質の無い時代の性病の薬だった。
特に女性の喉に感染したのを治すためだ。何故女性の喉なのかはここには書けない。
又話は変わるが、そのリス・・ンに含まれている消毒薬は塩化亜鉛だ。
最近福岡の耳鼻咽喉科でも見かけるがBスポット療法(Gではない!鼻咽喉のB)という治療法がある。
鼻の奥、のどちんこの奥の上のアデノイド(上咽頭)を捲綿子という金属の棒に綿を付けた器具に塩化亜鉛を浸けて塗布する。
ここは細菌やウィルスが付着しやすく腎臓や全身の病気の根源になりやすいからだ。
私もアデノイドが弱いので、自分でルゴール(ヨードグリセリン)を塗布するが、最近は薬局にはルゴールを置いていないのでネットで買う。
福岡出身で熊本育ちの私はその違いに敏感である。
大陸に大きく開かれ新しモノ好きの福岡、何を仕出かすか分からない薩摩藩の見張り番のような質実剛健な熊本、日本帝国陸軍の中でも熊本の第六師団は最強だった。県境で分かれるのか、筑後川で分かれるのか、北の福岡側はJポップで南の熊本側は演歌だ!
福岡は芸能県なので、枚挙にいとまが無いが、例えば松田聖子、広瀬香美、浜崎あゆみ、ミーシャ、椎名林檎と才能が溢れている。
熊本も水前寺清子、八代亜紀、石川さゆり、島津亜矢ととにかく歌が上手い。
話は変わるが、私が日本で一番上手いと思っている歌手は、女性では島津亜矢、男性では北海道出身だが玉置浩二だ!しかも彼の陰に筑豊の至宝井上陽水が見え隠れするのが嬉しい
最近2年くらい愛用している腕時計はダイソーで5百円だ。
この前電池が切れたので、ホームセンターに行った。
修理コーナーにいる馴染みのオヤジが「これいくらした?」
「5百円だけど」
「電池交換9百円だよ。同じもの買った方がいいちゃないと?」
「あのねー オレらの時代は万年筆、自転車、腕時計は宝物だったよね。高校入学の時に親から買ってもらったセイコー5自動巻は1万2千円だった。高卒初任給の半分か3分の1だったよ。オレ達にとって腕時計っちゃそういうもんやろ?」
「7百円でいいよ!」
話は変わるが、
1930年頃 父が中学の水泳の授業中にロレックスを盗まれた。
アメリカにいた親に手紙を書いたら、すぐ又ロレックスが送られて来た。
その頃日米の所得格差は百倍くらいあっただろう。
そのロレックスで家が建っただろう。
父は「盗んだヤツは価値が分からんかったろう。オレも分からんかった。」
よくそんな国と戦争したものだ!
繰り返すがオレの時計は5百円だ!
ふと昔のことを思い出した。私は親にとても可愛がられて育ったと思っている。
母親から「おまえは世界で一番かわいい!」と。
幼稚園に入った時、2日目に「それは違う」と思った。
「かあちゃん!ウソはいかんよ」
母親の言ってた意味が分かるまで10年はかかった。
当然 私に幼稚園で、世界で一番ではなく二番だと気付かせた男がいる。ソノダ君だ!
背が高く運動神経抜群、頭も良くキリッとした目鼻立ち。小学校も一緒に通学した。
彼はその後歌手で俳優になった清・健・郎だ!残念だ!
最近よく昔のことを思い出す。
50年前父親がU首の下着で街を歩き始めた。
母親が「下着で街ウロウロせんでよ!」「エイジも着とるやないか!」「あれはBVDであんたのは福助かグンゼやないね!」「なーんも違わん!」
東京に進学していた私が夏休みに白のTシャツで帰省したのが原因だった。
それまでで父母が見かけたTシャツ姿は進駐軍の米兵ぐらいだったのだろう。
話は変わるが、そんな母も70年以上前 父の家に嫁いだ時、アメリカ移民だった舅姑(父の父母)に「デニムのジーンズは街で着たらいかん!あれは労働者の作業服やけん」
「日本の車には電話が付いとらんね」
「ティッシュあったら買うて来て」と言われて意味が分からなかったらしい。
まだ各家庭には車も電話も無かったし、ケツは新聞紙で拭いていた。
よくそんな国と戦争したものだ!
アフガニスタンで活動しているNGOのペシャワール会の現地代表の中村哲医師が銃撃され亡くなったとのニュースが本日飛び込んで来ました。心からお悔やみ申し上げます。
8年程前にこのホームページで中村哲医師に関するブログを書きましたが、再々掲します。
以下の通りです。
福岡の地方版ニュースを見ていると炭鉱関連のものがやたらと出て来ます。
今はもう廃れてしまいましたが、県の代表的な産業でした。
そんなニュースを見ていたら、火野葦平の「花と龍」のことを語りたくなりました。
学生時代、同じ稲門の先輩である作家たちの作品を読むのは当たり前でした。
尾崎士郎「人生劇場」、五木寛之「青春の門」、そして「花と龍」等々。
特に五木と火野は福岡県人ですし・・
しかし若い頃はどれも内容が暗いし、必ずヤクザが絡んでいるし、70年安保直後の殺伐としたキャンパスの雰囲気も重なってあまり読む気になれませんでした。
「花と龍」を読んだのは数年前です。
しかし、こんなに面白かったのか!と思いました。
著者の火野葦平こと玉井勝則が、明治中期から昭和にかけての、両親である玉井金五郎とマンの裸一貫からの、石炭積み出し港だった洞海湾での沖仲仕としての活躍を、事実に基づきながら、度胸、行動力、リーダーシップや情の深さを、キったハったを交えながら見事に描き切っています。
私が小学校に上がる前、小倉の井筒屋の食堂で、隣の席にいた着物姿のおじさんに、本好きの母親が「火野葦平さんですか?」と話し掛け、私は頭を撫でられた記憶があります。
しかし戦後は「麦と兵隊」など「兵隊三部作」で戦犯作家として公職追放され、同時代の太宰治や松本清張ほどは評価されませんでした。でも彼が日中戦争当時に芥川賞を受賞した「糞尿譚」はおカミに楯突く「し尿組合」の活躍を描いたもので、書いた葦平も選出した側も時代背景を考えれば、大した勇気だったし、彼が単に戦争を美化したとはと思えません。
2年程前 若松駅前の資料館とそこから少し離れた彼の旧居「河伯洞」を訪れました。
「河伯洞」の管理人さんは葦平の三男史太郎氏ご夫妻で、史太郎氏は既に70代でしょうか、また同じ稲門でもあり、詳しく説明して頂きました。
玉井金五郎の写真がありました。目が大きくどこかで見た顔です。葦平とはそれほど似ていません。
私の怪訝な表情を察知した史太郎氏は「中村哲は金五郎の孫に当たります。私とはいとこです。哲はこのことはあまり言いたがりませんけど・・」
アフガニスタン等で我身の危険をものともせず、医療、水利、農業活動で活躍されているペシャワール会の中村哲医師です。
もともと九州大学医学部にはそのような伝統があると聞いていましたので、哲氏もそういう方なんだろうと思っていましたが、金五郎の血の流れだと聞いて、改めて納得しました。哲氏の母親は金五郎の次女つまり葦平の妹の秀子さんです。
「花と龍」は岩波現代文庫から上下巻が出ています。
以上大勢の個人名を書きましたが、どなたのご了解も得ていません。しかし書いたことの全ては既にネットや文書で公開されていますので、何卒ご了承下さい。アフガニスタンで活動しているNGOのペシャワール会の現地代表の中村哲医師が銃撃され亡くなったとのニュースが本日飛び込んで来ました。心からお悔やみ申し上げます。
8年程前にこのホームページで中村哲医師に関するブログを書きましたが、再々掲します。
以下の通りです。
福岡の地方版ニュースを見ていると炭鉱関連のものがやたらと出て来ます。
今はもう廃れてしまいましたが、県の代表的な産業でした。
そんなニュースを見ていたら、火野葦平の「花と龍」のことを語りたくなりました。
学生時代、同じ稲門の先輩である作家たちの作品を読むのは当たり前でした。
尾崎士郎「人生劇場」、五木寛之「青春の門」、そして「花と龍」等々。
特に五木と火野は福岡県人ですし・・
しかし若い頃はどれも内容が暗いし、必ずヤクザが絡んでいるし、70年安保直後の殺伐としたキャンパスの雰囲気も重なってあまり読む気になれませんでした。
「花と龍」を読んだのは数年前です。
しかし、こんなに面白かったのか!と思いました。
著者の火野葦平こと玉井勝則が、明治中期から昭和にかけての、両親である玉井金五郎とマンの裸一貫からの、石炭積み出し港だった洞海湾での沖仲仕としての活躍を、事実に基づきながら、度胸、行動力、リーダーシップや情の深さを、キったハったを交えながら見事に描き切っています。
私が小学校に上がる前、小倉の井筒屋の食堂で、隣の席にいた着物姿のおじさんに、本好きの母親が「火野葦平さんですか?」と話し掛け、私は頭を撫でられた記憶があります。
しかし戦後は「麦と兵隊」など「兵隊三部作」で戦犯作家として公職追放され、同時代の太宰治や松本清張ほどは評価されませんでした。でも彼が日中戦争当時に芥川賞を受賞した「糞尿譚」はおカミに楯突く「し尿組合」の活躍を描いたもので、書いた葦平も選出した側も時代背景を考えれば、大した勇気だったし、彼が単に戦争を美化したとはと思えません。
2年程前 若松駅前の資料館とそこから少し離れた彼の旧居「河伯洞」を訪れました。
「河伯洞」の管理人さんは葦平の三男史太郎氏ご夫妻で、史太郎氏は既に70代でしょうか、また同じ稲門でもあり、詳しく説明して頂きました。
玉井金五郎の写真がありました。目が大きくどこかで見た顔です。葦平とはそれほど似ていません。
私の怪訝な表情を察知した史太郎氏は「中村哲は金五郎の孫に当たります。私とはいとこです。哲はこのことはあまり言いたがりませんけど・・」
アフガニスタン等で我身の危険をものともせず、医療、水利、農業活動で活躍されているペシャワール会の中村哲医師です。
もともと九州大学医学部にはそのような伝統があると聞いていましたので、哲氏もそういう方なんだろうと思っていましたが、金五郎の血の流れだと聞いて、改めて納得しました。哲氏の母親は金五郎の次女つまり葦平の妹の秀子さんです。
「花と龍」は岩波現代文庫から上下巻が出ています。
以上大勢の個人名を書きましたが、どなたのご了解も得ていません。しかし書いたことの全ては既にネットや文書で公開されていますので、何卒ご了承下さい。
我が国では毎年どこかで大規模な自然災害が発生するようになった。
メディアでは一般市民の「ヤバいよ!」ばかり聞こえる。
不謹慎だが「あぶないよ!あぶないよ!」より「ヤバいよ!ヤバいよ!」の方がなんとも語呂がいい。
「やばい」の語源は諸説あるが、私が有力だと思うのは、
「江戸時代に矢場(射的場)で違法賭博や売春まで行われていたのに対し幕府がガサ入れしていた」ことに由来するらしい。
「あぶない」に対し、何とも後ろめたい言葉だ!
確かに最近の自然災害が単純な自然災害ではなく、何らか人為的な原因があると思っている自省的な日本人が多いのではないか?
話は変わるが、
私はこの「やばいよ」をギャグをにしている芸人の大ファンだ。
やたらとハイテンションな張り芸、暴力的なドつき漫才や人の容姿をあげつらう芸風より格段に笑いのレベルが高いと思う。
例え「抱かれたくない芸能人NO.1」を長期間ぶっちぎっていたとしても。
事実は分からないが、自分がこの世に出てきたこと自体が原罪のような自己肯定感の低さ、他人に圧力を全く与えない低レベルの身体能力と容貌。まさに日本人の鏡のようだ!
又話は変わるが、最近のこの国の周辺諸国を見ていると、やたらハイテンションで戦闘的で他の弱点をあげつらう国が多い。
我が国では「忖度」さえも肯定的な言葉ではなくなって来た。遅まきながら、そろそろ方向転換の時が近づいている。
又々話は変わるが、個人的には「ヒロシ」の再ブレークを期待しているが・・・
中国が今ほど発展してない30年くらい前、改革開放に舵を切った頃、ある経済特区に何回か出張した。
帰りしなにお世話になった中国人通訳に手持ちのコンパクトカメラをあげようとした。
が受け取らない。
周りには誰も居ないのに?現在はどうか知らないが、共産主義国家なので国民全員が公務員のような意識だからか、人前では外国人からのプレゼントは受け取らなかった。第3者がいなければ、そうでもない。
「だれも見てないよ」「いえいえ有難いけど、フィルムがなかなか手に入らないし、あっても高くて買えない。DPEはそれ以上に・・・」
次の出張の機会には、なかなか手に入らない乾電池が不要なソーラー電卓を手土産として持参した。
しばらくして「これ使えません!」「故障してた?」「いえいえ日中は照明を点けないので事務所が暗いんです。窓際でしか使えません。夜は照明が暗いので反応しません。」
宿泊しているその都市の最高級ホテルのショップで家内への土産を買った。
その地方の特産物の烏剛石(ウーカンスー)というオニキスのようなネックレス、日本円で16000円くらい。なかなか良い土産だと思った。
翌日の休日に街に出た。露店に烏剛石のネックレスがいっぱいだ!
何と昨日買ったものに瓜二つ、全く遜色ないのがある!日本円で80円!
今でも海外に行くと考え方や文化文明の違いに驚く。
アジアや中東やアフリカのバザールではなかなか値札通りに品物を買わない。値切るのが楽しい。が面倒くさい。
その点日本はレストランでのチップも要らないし、デパートやスーパーやコンビニで値切る人はいない。日本人はこんなことにエネルギーを使わない。なんと効率的なんだ!とずーっと思っていた。
しかし最近は何なんだ!
航空会社のナントカ割やLCC、ボーっと生きてると値段が10倍くらい違うことがある!
ポイント還元もふるさと納税も格安スマホも・・・
国民がいつもこんなことに意識と時間を獲られる。
一物一価の法則は現実世界では難しいのは分かるが、一物二価がひど過ぎる。AIやITが進化してるから、若い人はそれほど面倒ではないかも知れないが、高齢者は疲れる。