ほとんどの日本人が「日本人は優秀な民族だ」と思っているのではないかと思います。最近は少し自信が無くなって来ましたが、私もまだそう自負しています。
しかし色々な見方ができると思います。
10数年前 大新聞の記事の中で「日本の警察官が、検挙率などから世界で最も優秀である。」との論調がありました。少し首を傾げました。これも最近少し自信が無くなって来ましたが、確かに世界的に見れば職務に忠実だし、汚職に手を染める率は低く真面目だと思います。
でも犯罪発生率が低く、検挙率が高いのは日本国自体がしっかりしているからであり、個々の警察官の能力はニューヨークのスラム街の警官の方が、もしかしたらレベルが高いかも知れません。場数が違うでしょう。
何でもそうですが、必ずしも良い環境が優秀なヒトを育てるとは言えません。
日本のコンビニでは全ての商品が価格表示されているので、従業員がだれであろうが、レジが打てますし、フランチャイズチェーンとして拡大できます。
東南アジア等の市場なんかに行くと、値札なんか無く毎回店主と客の値段交渉になります。これだと従業員に簡単にまかせる訳にも行かず、フランチャイズ拡大などできるはずはありません。
日本人は毎回の価格交渉なんぞに時間とエネルギーを取られたくありません。
しかしこのために日本人の個々人はインドやインドネシアや中国の人々のような交渉力は身に付いてはいませんので、海外旅行ではいつもボラれますし、すぐおなか壊します。
日本人は組織戦をすべきで、個人戦をしてはいけないのです。団結が大事です。
団体球技で言えば、マンツーマンよりゾーンディフェンスが得意なのでしょう。
話は変わりますが、
「恐怖遺伝子」と言う言葉があります。詳しい内容は飛ばします。
結論から言えば、日本人は、個々人は世界で一番臆病な人種らしいです。
たしかに日本人は、綱渡りや高層ビルからのスカイダイブや崖をオートバイで飛び越えたりする遊びを作り出す人は少ないですし、大航海時代の新大陸発見など、無謀とも言えるチャレンジはして来ませんでした。
でも先の大戦以前や最近の大災害などでは、見事な程の勇気を示して来ました。
これには一定の条件があります。
1 後が無い、と言うほど切羽詰っている。
2 恥の文化がある。
3 自分のためでなく、家族、コミュニティ、国のためである。
このことが揃えば物凄い勇気が出るようです。
私事ですが、
私は中途半端ながら、武道をして来ました。動機は自分が臆病だったからです。そしてそれは修行によって克服できる、と若い頃は思っていました。しかしそれは不可能だったし、もうそのことは考えないようにして来ました。
でも最近は勇気があるのか、無防備な方が多いです。私は毎日仕事を終えた後、夜11~12時頃暗い道を歩いて帰りますが、その時間帯なのに、若い女の子たちがスマホを見ながら歩いています。スマホ見ながら無灯火の自転車に乗っている子もいます。
少林寺拳法で初心者に最初に教える大切なことの一つに「八方目」というのがあります。
「武道」は「スポーツ」ではありません。相手は1人であることの方が少ないし、どこから相手の仲間が来るか分かりません。視点は相手に合わせず、視線は動かさず、全体をぼんやりと見ます。
とにかく「居付く」ことを嫌います。空間的にも、時間的にも、肉体的にも、精神的にも。
一点を凝視すれば、視野狭窄になるし、他の五感は鈍ります。注意力は散漫になります。
話は飛びます。
いつの世でも命を狙われるのは恐ろしいことです。
京都の暗い夜道に出没していた勤皇の志士たちも、使命感に突き動かされていたとはいえ、さぞ恐ろしかったことでしょう。
しかし一番人気のある坂本龍馬の「暗殺の真相」は今も解りません。
後年になって自分が手を下したという人も出て来ましたし、状況から一緒にいた親友にも可能性があります。
でも普通に考えて、誰が一番龍馬が邪魔だったか?龍馬がいなくなることで誰が一番得をするのか?で行くと、やはりグラバーでしょうか?その後ろにいるイギリス、西欧列強も・・
龍馬はグラバーの世話になり、世界のことなど色々教わりました。しかしグラバーは武器商人です。戦争が起こらないと商売になりません。龍馬はグラバーを通じて国際政治、西欧列強の恐ろしさ、イギリスの植民地政策、アヘン戦争でのイギリスのやり口を知ります。
龍馬は戦っていた薩長に同盟を結ばせます。西郷隆盛と勝海舟を引き合わせ江戸城の無血開城を実現します。グラバーは武器を売る機会を失いました。そしてイギリスが内乱で壊れた日本を植民地にすることも・・
イギリスは今では植民地時代の勢いはありませんが、国際政治では暗然とした力があります。イギリスの諜報機関MI-6は西側のそれとしてはアメリカのCIA,イスラエルのモサドと並びとても優秀です。ということはとてもえげつないということです。
「007」の原作者のイアン・フレミングはMI-6の職員でした。さわやかに活躍するジェームス・ボンドは見事な程の国家宣伝をしています。
そろそろ暮れが近付いて来ました。選挙も近いです。龍馬になれない(なれなかった)私ら日本のオジサンたちは「赤ちょうちん」で「龍馬」に変身します。
そしてそのテーブルには「麒麟」のラベルのビールが置かれています。
「麒麟」は中国神話の伝説上の動物ですが、頭は「龍」、体は「馬」です。
武器売買が立ち行かなくなったグラバーは、その後海援隊で龍馬の部下だった岩崎弥太郎が設立した三菱財閥の相談役として活躍します。手掛けた多くの仕事の一つはビール会社でした。グラバーはラベルを「麒麟」に決めました。その真意は、龍馬への贖罪の気持ちか、偉人への尊敬か、友情か、あるいはその全てか、は既に歴史の闇の中に溶け込んでいます。
一昨年の暮れ、某国営放送の大河ドラマを終えた「龍馬」は大晦日の○白歌合戦で、知ってか知らずか「グラバー邸」でさわやかに歌っていました。
昨日テレビのビールコマーシャルで「龍馬」を見かけました。
○リンラガービ-ルかと思いきや、何とちゃっかり○サヒスーパードライ飲んでました。
グラバーへの仕返しですか???
50年程前に製作されたアメリカ映画「北京の55日」を私がワクワクしながら観たのは小学生高学年か中学生の頃でした。今になって考えれば、史実を基にしたと言っても、アメリカ映画としてのバイアスは当然掛かっていて、御馴染みの西部劇の、勇敢な西部開拓者(白人)対 野蛮なインディアン(ネイティヴアメリカン)のような、娯楽映画ながらアメリカの国家戦略が行間に感じられ、ずいぶんアメリカに都合の良いストーリーでした。
1900年に起きた「義和団の乱」のことですが、「北清事変」「拳匪の乱」とも呼ばれます。中国を侵略し、北京の紫禁城に籠城した、欧米列強のイギリス、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアそして日本の8か国連合軍約500名と清王朝軍とそれを支えようとした拳士たちの2ヶ月間の戦いが題材です。
主役はチャールトン・ヘストン演じるアメリカ軍のルイス少佐です。
余談ですが、チャールトン・ヘストンは「十戒」「ベン・ハー」等の主役として、当時ハリウッド映画全盛期の正統派スターでした。
若い頃は公民権運動に参加する等リベラルでインテリな俳優でしたが、その後は全米ライフル協会会長として銃規制政策に反対し、晩年の評価は分かれています。
実際の籠城の指揮官は日本陸軍の柴五郎中佐であり、それは各国の軍隊の中で彼が階級的に最上位だったことと、能力的にも英語、フランス語、中国語に堪能な上、リーダーとしても非常に優秀でした。映画の中では若き日の伊丹十三が空手を使う将校として、柴中佐の役を好演しています。事実この籠城戦に一番貢献したのは日本軍でした。
「義和団の乱」の歴史的解釈は複雑で色々あると思いますが、要は日清戦争後に疲弊し腐敗した清王朝とそこにつけ込んで来る日本を含めた欧米列強との闘いでした。
全く頼りにならない清王朝でしたが、欧米列強に食い荒らされることに怒った民衆が、「扶清滅洋」(清を助け西洋を滅ぼすべし)をスローガンに立ち上がりました。
「清王朝」は弁髪(剃髪でありながら頭頂部から一本だけポニーテール)の女真族(満州族)であり、中国人の大多数である漢族ではありません。中国の歴代王朝で漢族でないのは、あと「元王朝」の蒙古族だけです。日本は奇遇ながら、この二つの王朝に、元寇と日清戦争で勝利しています。
この清王朝を支えようとした民衆の中心を成したのは、白蓮教徒等の何と敵対していた主に漢族の武術集団でした。重武装の8カ国連合軍の兵士たちは、刀槍のみで突進して来る拳士たちに、恐怖感と共に敵ながらある種の感動を覚えたとのことです。
その後戦いに敗れた拳士たちは清王朝や欧米列強の弾圧で四散しました。
日本などとは全く異なり「おかみ」あるいは「国家」という「縦糸」が数千年間もアテにならなかった中国では、民衆の中に自己防衛のために、このような宗教的秘密結社や、政治的秘密結社、地域的秘密結社の強い「横糸」が形成されて来ました。この結びつきは日本人の想像を超え、時の権力やイデオロギー、職業、貴賎、国内外も関係なく、世界中にそのネットワークを拡げています。
最近の例としては、1989年の天安門事件のリーダーが簡単にアメリカに逃れたケースがありました。
時代は進みその約30年後、日本陸軍の特務機関員(いわゆるスパイ)として、中国に深く潜行していた、少林寺拳法の開祖 宗道臣(以下開祖)は任務の合間に、その義和団の乱の生き残りの崇山少林寺の老師たちに拳技を教わりました。国際社会の非情さや自信を喪失した日本人に対して使命感を持たれた開祖は、戦後帰国し日本で少林寺拳法を創始することになります。中国人の厚い情に接し、ある時は命を救われたりした開祖が終生中国に好意的だったことは良く理解できます。
話は変わりますが、
中国に好意的な文科大臣は、大臣の裁量権を乱用し問題になっています。20年程前は将来日本初の女性総理大臣にもなるかと期待されましたが、時が経つとその能力の程度が国民に知れ渡り、部下のキャリア官僚にも相手にされていません。父親譲りのダミ声と下品な冗談で「アメとムチ」を使い分ければ回りはひれ伏すと思っていたでしょうが、天才政治家だった父親のようには行きません。レベルが違います。今回のことも、今更権力が欲しい訳ではなく、単に目立ちたがりだし、近付いてきた選挙に取り敢えず勝つためのパフォーマンスと思われます。
最近は2世3世の政治家が多く親の秘書等をした後に立候補して来ますが、「他人の飯」をきちんと食ったことが無いので、組織の意思決定のプロセスやメカニズムが分からないまま歳だけ取っています。言っていることが正しくても、それは庶民の井戸端会議や赤提灯でのグチレベルに過ぎず、「大きなバスは急に曲がれない」のと同じで、民主主義には醸成に時間と手順がいることを理解していません。優秀なキャリア官僚集団に対し、一人で政治主導だと唱えても面従腹背されるだけです。前の前に総理大臣をした大金持ちで親も祖父も大政治家だったボンボンも組織にいたことはなく、せいぜい大学の研究室にいた人でした。頭は非常に優秀でも実際に経験したことが無いことは肌で理解できません。いずれにしろこの政権は近々終わりますが・・
又話が変わります。
今日中国でトップリーダーが交代しました。
本来はこの会議場にいたはずの、とある市長(といっても人口2900万人)が先日権力闘争に敗れ失脚しました(しかし捲土重来の可能性はあります)。不正蓄財が数千億円だそうです。中国のGDPは日本を超えましたが、1人当たりだとまだ日本の10分の1です。したがって数千億円は日本人にとっては数兆円の金銭感覚です。
あの剛腕政治家の政治資金不正使用疑惑でさえ4億円です。
それにしてもなぜそんなにお金が集まるのでしょうか?
一党独裁あるいは絶対君主王朝にヒントがあります。先進的な民主主義国家では権力には義務と責任が付いてまわりますが、そうでない国では権力には利権が付いて来ます。
法律はきちんとあります。しかし日本や欧米諸国と違い権力者の許認可の裁量権に幅があります。
仮に先の文科大臣のケースだと、日本だと野党や世間(つまり選挙)が許しませんが、あの国だったら3大学の理事長は裏から贈賄することで解決することになります。つまり許認可権は莫大なお金を呼び寄せます。尤もらしい理由を付け「これは認可できんなあ」とつぶやけば良いのです。
今世界で先進国と呼ばれる国は、必ず封建時代を経ています。西欧の小さな王国や日本の江戸時代の幕藩体制がそうです。どんぐりの背比べのような小国が、比較的ゆるい主従関係で切磋琢磨しました。これが産業革命へと発展して行きます。
絶対君主王朝だと厳しい上意下達です。たしかに意思決定は早いです。しかし下の者は権力者を恐れ、面従腹背し、将来に備え私腹を肥やすことに専念します。国を真に発展させようとは思いません。
しかしウラハラに利点もあります。一人ひとりの権謀術数の能力は鋭く研ぎ澄まされます。4千年間も鍛えられています。無菌室育ちの日本人など太刀打ちできません。
先日はアメリカでもオバマ大統領の連投が決まりました。
我が国も「近いうちに」選挙になるはずです。
混迷する世界が少しでも良い方向へ進むことを祈ります。
30年位前、戦前に満鉄の経理部にいたという初老の経営コンサルタントの方と知り合いになりました。「満鉄」というのは「南満州鉄道株式会社」のことで半官半民ながら、当時の日本の中国植民地政策の最前線の会社でした。特に調査部は当時日本の最高のシンクタンクでした。初代総裁の後藤新平をはじめ歴代総裁、役員、社員、その子孫に至るまで「この人もあの人も・・」というそうそうたる陣容でした。戦後の復興にも多くの方が活躍しました。
その経営コンサルタントの話では、
「終戦直後すぐ中国共産党の幹部が満鉄に乗り込んで来ました。自分達は当然処刑されるのだろうと覚悟を決めてたそうです。ところが、共産党幹部は好意的で、いつまでもこの鉄道事業を維持継続してほしいので、経理部員も好きなだけ在籍して構わない、と言われました。
中国共産党幹部は優秀な人ばかりでしたが、企業会計システムは分からず、特に複式簿記について全く知りませんでした。日本人経理部員達も意気に感じ懸命に教えました。もともと優秀な人達ですから1~2年でマスターして来ました。そうするとなぜか組織に変化が起き始めました。
共産党幹部は日本人経理部員それぞれに対し極端な成績査定をし、給料や待遇に大きな差を付け始めました。それまで一つに纏まっていた日本人たちの中に、それをきっかけに仲違いが始まりました。部内に派閥ができ、嫌になった人から徐々に引揚船に乗船して日本に帰国して行きました。
中国共産党は満鉄のハードはもちろん、ソフトも労せず手に入れました。」とのことです。
したたかな中国に比べソ連は乱暴でした。日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏するやいなや、日ソ不可侵条約を一方的に破棄し侵攻して来ました。日本兵は60~70万人がシベリア抑留され、1割が現地で亡くなりました。
日本人の一般住民に対しての略奪強姦も激しく、私も知り合いのおばあさんで、当時中朝国境付近から逃げてきた方の目撃談をお聞きしたことがありますが、ここには書けません。
話は変わりますが、いよいよ石原慎太郎氏が立ち上がりましたね。
80歳での「最後のご奉公」には頭が下がります。
中国は怒り心頭でしょう。
昨日の記者会見で彼は、国や地方公共団体の会計制度が、複式簿記でなく単式簿記であることをしきりに指摘してました。単式簿記ということは家計簿や子供の小遣い帳と同じです。
私ら個人事業主の会計は零細であっても、主に青色申告という複式簿記ですが、それを管理、指導、徴収する税務署の会計は単式簿記のはずです。不思議です。
もしかして私 地雷踏んでますか?
日馬富士が2場所連続で全勝し、横綱昇進が決まりました。
幕内最軽量だそうです。日本人力士たちは何をしているのでしょう。
体格的に優るヨーロッパ系力士に負けるのは少しは理解できますが・・
それとモンゴル出身力士たちの日本語の会話力にも驚かされます。
口下手な日本人より上手です。
日本人が書けない四字熟語も使いこなします。
アクセントやイントネーションにも違和感がありません。
顔も何となく日本人らしいです。我々のことを人種的にモンゴロイドというのも納得できます。
地理的には、すぐ近くのあの国やあの超大国より遠いはずですが・・
それにしても私ら日本人の語学力は何とかならないのでしょうか?
最近の領土領海問題も交渉力・コミュニケーション能力・会話力の不足が大きいのではないでしょうか?
世界的に見て大半の言語の文法は「主語・述語・目的語」の順番ですが、日本語のそれは「主語・目的語・述語」という決定的に不利な点はあります。しかしハングルもそうでありながら韓国の人々は、日本人に比べかなり上手に英語を使いこなします。
日本人は「主語」さえよく省略します。「ところでだれの話ばしよっとね?」と確認が必要なこともよくあります。
又いい歳になって来ると「あれがあれして、これがこげなふうになったとよ。」と代名詞だけで通じます。
私は子供もいないので、その後の学校教育がどうなっているのか知りませんが、私らの時代の小学校の「反省会」や中学校の「ホームルーム」での揉め事の結論は「みんな仲良く!」とか「各自の自覚の問題です。」とかに落ち着くことが大半で、「考え方が全く違うので、結論を集約できないこともある。」とか「仮に考え方が違っても、それはそれとして付き合って行く。」とかの結論にはならなかったように思います。尤も同じ組に全く異なる文化の子がいる、というのは稀でしたから。
話は元に戻りますが、私ら日本人の語学力とりわけ英語力は何とかならないのでしょうか?
戦後70年近くなりますが、相変わらずのような気がします。
「語学」という「学問」にするからいけないのでしょう。「音楽」は教科の一つですが「音学」ではありません。ビートルズのメンバーも音符が読めないまま、あれだけの曲作りをしてたそうです。「ゴガク」も「語楽」にしてはどうでしょう。学問として権威付けするよりツールとして使いこなす方が憶えると思います。
「I am 西田」を訳せば、「私ハ西田です」か「私ガ西田です」です。文法的な意味合いは日本語でさえ上手に説明できませんが、使い分けてます。
こう言うと必ず出て来る反論は「しゃべれれば良いという問題ではなく、論理的な構築や自国文化の深い理解が大切であり、そうであるならばまず正しい日本語できちんと話せるようになりましょう。」と言っているうちに、70年経ちました。
ほとんどの日本人が中学3年間、高校3年間、合計6年間 毎日英語の授業を受けています。他のお稽古事 例えばピアノを6年間毎日練習すれば、友達の結婚式で披露できるくらいになれます。武道でも2段か3段くらいにはなれる可能性があります。
でも英語になると、街で外国人に道尋ねられると「ワタシ 英語しゃべれませんから・・」と平気で答えます。これが算数だと「わたし算数ができないので、お釣りが合ってるかどうか分かりません。」とは言いません。
大学でも美大の絵画科出身で「ワタシ絵は描けません」とか、音大のピアノ科出身で「わたしピアノ弾けません」というのは聞いたことがありませんが、英文科出身で「ワタシ英語しゃべれません」というのは謙遜もあるでしょうが、結構聞きます。
教える側も「学問」にする方が簡単です。「関係代名詞」「分詞構文」「現在完了進行形」等々、外国人にほとんど接しなくても地方の教育大学でマスターできますし、公立の教員になれば、コミュニケーション能力の高い英会話学校の講師より2倍以上の収入が安定的に得られます。
試験問題も何が正解が分からない、あるいはいくつもの正解が有り得る、英会話の問題作りは大変ですから、○×式か四択等にしておけば、採点も簡単です。
高校や大学入試の問題では、あまりに難し過ぎて、英米人でも分かるのかな?と思うくらい捻ったモノがあります。選別するための道具のような気がします。それが分かるからって、その後の長い人生で何の参考になるのか疑問です。
私も大学入試から40年以上経ちますが、解けない英語の問題の嫌な夢を、今だに時々見ます。実際も半分しか分からないような入試問題だったので、もし合格したらもう二度と英語の勉強などするものかと思い、その通り40年が経ってしまいました。
ヒトが真剣に勉強するモティベーションは、それがとても面白く感じられるか、その後の収入に大きく影響するか、それが無ければその後の生活が危うい、のどれかではないでしょうか?
でももう心配する必要はありません。これまでは日本に勢いがあったので、こちらのコミュニケーション能力が低くても、諸外国の方から近寄ってくれました。もうそんな時代ではありません。日本人がこちらから出向かねばなりません。これからの若い人たちは外国語を生きて行くためのツールとして必死に学ぶはずです。
私も中国による日本植民地化に備えて、そろそろ中国語の勉強を始めようか、と思う今日この頃です。
「オレの友達は変わったヤツばっかりだ!」とか「うちのグループは個性のあるヤツが多いよ!」とのフレーズを結構聞くことがあります。これはほとんどが肯定的な気持ちです。
「うちの業界は特殊だから!」というのもよく耳にします。これは否定的な意味合いと自慢げな気持ちが交じり合い、参入障壁を築こうとしている場合もあります。
いずれにしても実は大して違いは無く、似たものばかりで金太郎飴みたいな集まりだったりします。
私の大好きな「ケンミンショー」でも、同じ県内でも「山一つ越えると全く違う食文化」ということもよくあります。
でも所詮狭い日本の中のこと、いずれにしろ大した違いではありません。
黙っていても通じる「あうんの呼吸」が必ずあります。
国や文化が違うとそうは簡単ではありません。
「話せば分かる」とか「みんな根はいい人ばかり」とは行かない場合もあります。
想定外や予想外に備える教育も必要です。
特に人種的に近く、顔が似ていると「ホントは分かってくれてる」等と期待してしまう、今日この頃です。
政治の話はあまりしたくないんですけど、最近騒がしいですね。
手段と目的、戦術と戦略、破壊と創造・・
似たような言葉は色々ありますが、どうしても高い志より小さな揉め事の方が面白いです。会社でも、壮大な長期経営計画より、目先の人事にみんな興味があります。
そういえば、こういう時に必ず出て来る、あの豪腕の方はどうされているのでしょう?
政局や選挙に強いというのは、やっぱり手段です。しかし闘いに勝てないと自分の信じる政策が実行できないのも事実です。
例えば選挙に強いというのは、多くの子分を国会議員にしてやる、ということですよね。
それってもっと下品に言えば、捕食活動に優れている、ということでしょう。
でもそれだけだったら、ヒトよりサメやワニの方がよっぽど上手いのですが・・
話は飛びますが、
あの島のことです。あの都知事を無視して、地権者が国に直接売る、というのは本当でしょうか?
口は悪いが志も胆力もあるあの人を飛び越えてですよ!
私は絶対都知事の作戦だと思います。
(理由)
1 長年都知事と信頼関係にある地権者が裏切るはずは無い。
2 首相は思想的にはヒトが思っているより都知事に近いのでは?しかし今は首相の立場にある。
3 中国が嫌っている都知事に売るより、国が買う方が中国を刺激しない。
4 いずれにしろ次の選挙で民主党は負けるが、首相は買うことで一仕事やったことにはなる。
5 次は自民党(大阪維新の会も含めて)が政権を担う。総理総裁は都知事よりも老けた、その息子がなる可能性も高い。
6 そうなれば都知事の思うがまま!
8月15日は、昨年もブログに書きましたが、「敗戦日」であって「終戦記念日」とは思いません。日本人は奥ゆかしいので、言いにくいことはオブラートに包み、はっきりとは言いません。
日本人の誰しもが戦争は嫌いです。先の大戦でも悲惨なことが起きました。そしてそれを語り続けることは大切ですし、先人の義務でもあります。しかし悲惨だから「戦争反対」と言うのは、そこで思考停止してしまいますし、単純過ぎます。
「戦略」と言う言葉は軍事用語ですが、政治家や経営者が好んで使います。しかし日本においては軍事面に於いてこそ「戦略」が不足していると思います。
「戦争」は、何万人死のうが「犯罪」ではありません。何故ならどちらも「自分が正しい」からです。どちらかが悪ければ「犯罪」です。そしてそれは「外交」の延長上にあります。たいていのことは「外交」で何とかなりますが、どうにもお互い譲れない場合に「戦争」になります。
国内だとこういう場合は警察も裁判所もあります。世界にはそのようなものはありません。
国際連合は各国の思惑で纏まらないし、国際司法裁判所も力はありません。現在はアメリカという「大親分」の傘下にいるだけです。そしてこの方の思惑は分かりませんし、最近歳を取って来た様に思えます。尚且つ日本も以前ほどは上納金が稼げなくなって来ました。
不幸にして戦争が起きた場合、「私は戦争には反対なので、戦いません。」とするなら、相手国の好き放題になります。平和な時は、この世で一番大切なものは、「自分の命」と思って間違いありませんが、非常時には「自分の命」より大切なものがあるように思います。
もし自分の住まいの地域が洪水で流され、隣のお宅との境界が分からなくなったとします。
法務局でも判断が着かなくなったとすれば、お互いの主張にかかって来ます。自分の方は「境界はここだ!」といくら言っても、隣は札付きの乱暴者で、代々「ウチはここだ!じいさんからそう聞いている。」と言われればラチは明きません。例えこちらが正しくても、じいさんからそう「教育」されていれば、隣の人は「自分の方が正しい」と思っています。
取り合えず、しばらくは「非武装地帯」として放っておいても、隣が家を建て始めたら揉めますね。
これが今の日本なら揉めて殴られるのはイヤなので、どんどん敷地が減って来ます。
取り返しが着かなくなっても、「暴力反対!話し合いで!」とただ叫ぶだけでしょう。
「未来の子供たちのために!」というフレーズが大好きなら、我々「今の大人」はもう少し頑張りたいですね。
話は全く飛びますが、
今回のオリンピックの柔道は残念でした。特に男子が・・
以前ブログに書きましたが、日本人は世界的に見ると、男女の体力差が最も少ない人種らしいです。そしてもともと男が弱すぎます。
以前日本人は子供の頃から柔道をやっていました。したがって外国人より体力的に劣っていても技術で何とかなりました。しかし東京オリンピックで採用されて以来50年近くが経過して、各国も何十年も取り組んで来ました。
「柔道」は「武道」ですが、オリンピックという「スポーツの祭典」に参加して競技する以上は「スポーツ」でなければその資格はありません。
これも以前に述べましたが、「武道」は「スポーツ」ではありません。武道にはルールも、相手の人数も、時間も、場所も、道具も、決まりはなく、逃げることも構いません。従うのは自分の倫理観と法律だけです。「スポーツ」はそれとは全く逆で、ルールに則り正々堂々と戦わなければなりません。
柔道もオリンピックの中でスポーツとして勝ちたければ、「スポーツとしての戦略」が必要ではないでしょうか?
大きな目標を立て「ヒト、モノ、カネ」をどう有効に使うか、少なくとも選手の自主性に任せたり、逆にしごいたりすることではないでしょう。監督だけの責任でもないでしょう。監督は「中間管理職」のように思えました。
「一本獲る柔道を目指す!」というのは、「武道」でも「スポーツ」でもなく、「芸術」のような気がしました。
ロンドンオリンピックが成功裡に終わりました。
これに触発され、何かスポーツをしたくなります。
とりあえず競歩や、シンクロの入場の歩き方、新体操のリボンの演技、の練習を始めたオジサンも多いのではないかと思います。(私だけですか?)
日本も今回はメダルを獲りましたね。過去最多の38個です。
金銀銅は別として、メダル獲得の国別ベスト10は、
1位 アメリカ 104個
2位 中国 87
3位 ロシア 82
4位 イギリス 65
5位 ドイツ 44
6位 日本 38
7位 オーストラリア 35
8位 フランス 34
9位 韓国 28
9位 イタリア 28
しかしこれを人口比で見ると、
1位 オーストラリア 63万人に1個
2位 イギリス 95
3位 韓国 171
4位 ロシア 174
5位 フランス 185
6位 ドイツ 186
7位 イタリア 218
8位 アメリカ 298
9位 日本 332
10位 中国 1551
オーストラリアは強いですね。
イギリスもすごいですね。メダルの数もすごいけど、犯罪発生率もたしか日本の5倍、先進国の中ではダントツです。もともとは「紳士の国」ですけどね。白人対白人だと「紳士」ですが・・
韓国は日本の2倍です。金メダルも13個獲っており、スポーツへの国としての力の入れ方がすごいです。
ヨーロッパ諸国はどこもしっかり獲っています。
日本はもう少し頑張らないといけません。まずはアメリカを捉えたいです。
中国はまだまだです。逆に言えばノビシロがあります。
話は飛びますが、
GNPで、中国は最近日本を抜きました。
でも1人当たりだと、日本の10分の1です。まだ少ないのですが、すぐ同じになる可能性を秘めています。
アメリカと日本の1人当たりGNPは同じくらいです。
でも個人個人の所得を見ると、アメリカの経営者やスポーツ選手の収入は桁が違います。
ということは上は高いが、下が安い、そして二極分化しているということです。
最近ネットで、このことについてのどなたかの文章を読みました。その通りだと思いました。その内容は、
アメリカは多民族国家であり、必ずしもみんなが英語を話せるとは限らない。従ってマニュアルが進化しました。そこでマニュアルを作る少数の人と、そのマニュアルで動く大多数の人の収入が同じはずは無い、ということらしいです。
たしかにアメリカのニ極分化は激し過ぎますが、プロジェクトやシステムを立ち上げる人と、その業務をこなして行く人の給料があまり変わらないのは、おかしなことです。
バブルの頃は「日本こそ最も進んだ共産主義国家だ!」「国民総中流化!」とある意味自慢げに語られました。
しかし財政的に厳しくなった今、どこかの市バスの運転手の年収1千万円というのは、もう有り得ない時代のようです。
オリンピックのメダリストは我々のような一般人ではありません。特別な才能を持った方々です。そして国威昂揚に努めています。報奨金数百万円は安過ぎます。全員がプロに転向できたり、CMやタレントで稼げる訳でもありません。
800人いる国会議員(中にはほとんど仕事をしてない人もいます)に毎年一人当たり億単位の税金を使うくらいなら、メダリストに年に数百万円単位の生涯年金を支給しても良いと思います。そうすれば安心して後進の指導が出来ます。
また話が飛びます。
「銀は金より良いと書くのよ」とか「銅は金と同じと書く」とかオヤジギャグのような
CMが流れてました。
そこで相場を調べてみました。
ちなみに銅メダルの銅はcopperではなく、bronze medalと言います。つまり銅ではなく、「青銅」です。「青銅」は銅と錫の合金で10円硬貨がそうです。ちなみに5円硬貨は「黄銅」で銅と亜鉛の合金です。
(8月13日付)
金 4329000円 /Kg
銀 77280円
青銅 470円
つまり金は銀の56倍、銅の9210倍です。
オリンピックの金銀銅メダルの価値に、こんなに差があるという意味ではありません。
WHO(世界保健機関)が5月に発表した2012年の世界各国の平均寿命で日本は83歳、193か国中第1位でした。男性80歳、女性86歳です。
旧約聖書によると、昔の人々はとんでもなく長生きでした。「創世記」には、ノアの箱舟のノアは大洪水の時は既に500~600歳だった、と記されています。
そこまでは無理でしょうが、医学をはじめとする科学技術は日々進歩しています。これからも平均寿命は延びていくことでしょう。ほとんどの人はそれを望んでいます。
でもそれは本当に幸せなことでしょうか?医療業界の端くれで、ご高齢の患者様がいる私にとって、このテーマは地雷を踏むようなものかも知れませんが・・
もしも仮に人間が今の10倍、800歳まで生きるとすればどうなるのでしょう。
地球上でごく少数の人だけが800歳まで生きるとするなら、それは医学的、生物学的に貴重な存在です。国家に生活が保障され、120歳を超えたあたりから毎年ギネスブック更新となります。
人生経験も10倍になります。思想や宗教、科学技術、政治経済など仙人のような方々がリーダーシップを発揮しているでしょう。
しかし全人類が平均寿命800歳となるとどうでしょう?
20歳で生殖可能となり、300歳位まで、2年毎に出産すれば、280年間に140名の子供ができます。その子供らが同じように出産して行けば、人口は天文学的な数字になります。土地もエネルギーも水も食糧も足りません。現在の70億人でも既に危なくなっています。
800歳の爺さん婆さんの子供は780歳、孫は760歳でそれぞれにねずみ算的に子孫がいる訳です。
少し話が飛びますが、
どんなに文明が進化しても、人間の死亡原因は4つしかありません。
「病死」「事故死」「自殺」「他殺」これだけです。みんなこのどれかで死にます。
厳密に言えば「自然死」などありません。「老衰」は必ず体の臓器のどれかが不全になる「病死」です。戦争によるものは「他殺」です。
もちろん複数の原因を持つ例もあります。過度の飲酒、喫煙、薬物中毒は「病死」でありながら、「慢性的な自殺」とも言えます。
飲酒運転や無免許運転による交通事故は「事故死」ですが、「未必の故意による他殺」と言えるかも知れません。
したがって800年の人生でも死亡原因は同じでしょう。しかし生きて行くことが大変です。
780歳位まで若々しければいいけど、600歳から200年間位高齢者で暮らすのは・・
何百年も安定的に生計を立てて行く生活苦。
若くして事故に遭った場合や病気で、何百年間も障がいを抱えたまま生きる、肉体的精神的な苦労。
水、食糧、エネルギー不足による紛争多発。
自殺も増えるような気がします。
何百年もの間、限り無い再チャレンジのチャンスがあったとしても・・
第一健康に天寿を全うできたとしても、いいかげん飽きるでしょうね。
今世界中で人口が増え続けています。しかし日本では少子高齢化が進み、私らのような「団塊の世代」が大量に高齢者になって来ますが、これからの30年間、この政治経済の状態では若い人たちが支えるのはとても大変です。
まあ「団塊の世代」はタフで自己主張が強いので、歳を取っても元気に働いて税金を納め続けてくれると嬉しいです。
私共医療従事者ができるささやかことは、高齢者のQOL(QUALITY OF LIFE 生命あるいは生活の質)を上げて行くことです。健康であれば社会貢献できる人々が増え、重篤な病気による多額な医療費も抑えられます。
最後は真面目なまとめになってしまいました。
テレビ通販で「サバイバルローラーバッグ」19800円、なるモノを買いました。
東日本大震災の後で、ちょっと不謹慎かも知れませんが、福岡市は大災害がおこる可能性がかなり低い都市らしいです。
こんなこと言うと、逆に起こりそうで恐い気もしますが・・
ある防災コンサルタントの言う 「大地震が来ても最後まで生き残る街」全国ランキングで、
第1位 福岡市
第2位 福岡県久留米市
第3位 山口市
第4位 熊本市
第5位 福岡県筑紫野市
とベスト5に福岡県の都市が3つも入っていました。
それにここ10年位北部九州に大きな台風が直撃することもありません。
最近福岡市で起きた災害は、
1999年(平成11年)6月29日 洪水 1時間77ミリの大雨
2003年(平成15年)7月19日 洪水 1時間99ミリの大雨
*これらの洪水で博多駅前にタクシーがぷかぷか浮いてました。
2005年(平成17年)3月20日 西方沖地震 震度6弱
4月20日 余震 震度5強
*これらの地震でかなりの建物に被害が出ました。
これ以降大きな災害はありません。
しかしこれ以降サバイバル用品を何か用意しなければ、と思いつつ何年も過ぎてしまいました。
そうしていたら「東日本大震災」が起こりました。直接の被害の無い九州に居ながら茫然自失です。
先日テレビの通販を見ていたら、「サバイバルローラーバッグ」なるモノが紹介されていました。「この際買うか!」
よく考えたら、サバイバル用品の「軸」が無いと思いました。それが無いとなかなか買い揃えるきっかけになりません。
このバッグには34アイテム入っています。ほとんどのアイテムは百円ショップでも揃います。
しかし購入のきっかけは、このバッグにはローラーが付いていて、22リットルの水が入ることです。要は給水車まで大量の水を貰いに行くことが、いかに大変か!ということです。
あとのポイントは「ラジオ付き携帯充電機能付き自家発電ライト」くらいです。
でも災害のケースによって必要なものが変わって来ますね。
1 家が潰れて、着の身着のままで逃げ出す。
2 家は残ったが、電気ガス水道のライフラインが止まる。
1の場合は着替え、テントや寝袋も必要かも知れません。
2の場合なら、飲料水、食料、コンロがあれば何とかなりそうです。
又もや不謹慎かも知れませんが、サバイバル用品やアウトドアグッズを揃えるのは結構楽しいです。
しかし専門的なモノより家庭用品の方が使い勝手が良いケースが多いです。
私は二輪が好きで、若い頃ホンダのXL250というオフロードバイクに乗っていました。
たまに「こんな所にオンロードバイクは入れないだろう!」というような林道を走っていると、向こうから「安全第一」と書いてあるヘルメットを被った作業服のオッサンがスーパーカブでトコトコやって来ます。がっかりです。
家内が缶詰を開けてくれと言うので、おもむろにスイスアーミーナイフを取り出し、開け始めると意外に時間がかかります。見兼ねた家内が台所の缶切りを投げて遣します。スイスイ切れます。
キャンプに行って、カレーを作ります。おもむろにサバイバルナイフを取り出し、肉や野菜を切り始めますが、刃厚があり過ぎて思うように切れません。結局包丁を使います。
やっぱりサバイバル用品は集めるのが楽しいです。
実際には使いたくありません。使わないことを祈ります。