日馬富士が2場所連続で全勝し、横綱昇進が決まりました。
幕内最軽量だそうです。日本人力士たちは何をしているのでしょう。
体格的に優るヨーロッパ系力士に負けるのは少しは理解できますが・・
それとモンゴル出身力士たちの日本語の会話力にも驚かされます。
口下手な日本人より上手です。
日本人が書けない四字熟語も使いこなします。
アクセントやイントネーションにも違和感がありません。
顔も何となく日本人らしいです。我々のことを人種的にモンゴロイドというのも納得できます。
地理的には、すぐ近くのあの国やあの超大国より遠いはずですが・・
それにしても私ら日本人の語学力は何とかならないのでしょうか?
最近の領土領海問題も交渉力・コミュニケーション能力・会話力の不足が大きいのではないでしょうか?
世界的に見て大半の言語の文法は「主語・述語・目的語」の順番ですが、日本語のそれは「主語・目的語・述語」という決定的に不利な点はあります。しかしハングルもそうでありながら韓国の人々は、日本人に比べかなり上手に英語を使いこなします。
日本人は「主語」さえよく省略します。「ところでだれの話ばしよっとね?」と確認が必要なこともよくあります。
又いい歳になって来ると「あれがあれして、これがこげなふうになったとよ。」と代名詞だけで通じます。
私は子供もいないので、その後の学校教育がどうなっているのか知りませんが、私らの時代の小学校の「反省会」や中学校の「ホームルーム」での揉め事の結論は「みんな仲良く!」とか「各自の自覚の問題です。」とかに落ち着くことが大半で、「考え方が全く違うので、結論を集約できないこともある。」とか「仮に考え方が違っても、それはそれとして付き合って行く。」とかの結論にはならなかったように思います。尤も同じ組に全く異なる文化の子がいる、というのは稀でしたから。
話は元に戻りますが、私ら日本人の語学力とりわけ英語力は何とかならないのでしょうか?
戦後70年近くなりますが、相変わらずのような気がします。
「語学」という「学問」にするからいけないのでしょう。「音楽」は教科の一つですが「音学」ではありません。ビートルズのメンバーも音符が読めないまま、あれだけの曲作りをしてたそうです。「ゴガク」も「語楽」にしてはどうでしょう。学問として権威付けするよりツールとして使いこなす方が憶えると思います。
「I am 西田」を訳せば、「私ハ西田です」か「私ガ西田です」です。文法的な意味合いは日本語でさえ上手に説明できませんが、使い分けてます。
こう言うと必ず出て来る反論は「しゃべれれば良いという問題ではなく、論理的な構築や自国文化の深い理解が大切であり、そうであるならばまず正しい日本語できちんと話せるようになりましょう。」と言っているうちに、70年経ちました。
ほとんどの日本人が中学3年間、高校3年間、合計6年間 毎日英語の授業を受けています。他のお稽古事 例えばピアノを6年間毎日練習すれば、友達の結婚式で披露できるくらいになれます。武道でも2段か3段くらいにはなれる可能性があります。
でも英語になると、街で外国人に道尋ねられると「ワタシ 英語しゃべれませんから・・」と平気で答えます。これが算数だと「わたし算数ができないので、お釣りが合ってるかどうか分かりません。」とは言いません。
大学でも美大の絵画科出身で「ワタシ絵は描けません」とか、音大のピアノ科出身で「わたしピアノ弾けません」というのは聞いたことがありませんが、英文科出身で「ワタシ英語しゃべれません」というのは謙遜もあるでしょうが、結構聞きます。
教える側も「学問」にする方が簡単です。「関係代名詞」「分詞構文」「現在完了進行形」等々、外国人にほとんど接しなくても地方の教育大学でマスターできますし、公立の教員になれば、コミュニケーション能力の高い英会話学校の講師より2倍以上の収入が安定的に得られます。
試験問題も何が正解が分からない、あるいはいくつもの正解が有り得る、英会話の問題作りは大変ですから、○×式か四択等にしておけば、採点も簡単です。
高校や大学入試の問題では、あまりに難し過ぎて、英米人でも分かるのかな?と思うくらい捻ったモノがあります。選別するための道具のような気がします。それが分かるからって、その後の長い人生で何の参考になるのか疑問です。
私も大学入試から40年以上経ちますが、解けない英語の問題の嫌な夢を、今だに時々見ます。実際も半分しか分からないような入試問題だったので、もし合格したらもう二度と英語の勉強などするものかと思い、その通り40年が経ってしまいました。
ヒトが真剣に勉強するモティベーションは、それがとても面白く感じられるか、その後の収入に大きく影響するか、それが無ければその後の生活が危うい、のどれかではないでしょうか?
でももう心配する必要はありません。これまでは日本に勢いがあったので、こちらのコミュニケーション能力が低くても、諸外国の方から近寄ってくれました。もうそんな時代ではありません。日本人がこちらから出向かねばなりません。これからの若い人たちは外国語を生きて行くためのツールとして必死に学ぶはずです。
私も中国による日本植民地化に備えて、そろそろ中国語の勉強を始めようか、と思う今日この頃です。
「オレの友達は変わったヤツばっかりだ!」とか「うちのグループは個性のあるヤツが多いよ!」とのフレーズを結構聞くことがあります。これはほとんどが肯定的な気持ちです。
「うちの業界は特殊だから!」というのもよく耳にします。これは否定的な意味合いと自慢げな気持ちが交じり合い、参入障壁を築こうとしている場合もあります。
いずれにしても実は大して違いは無く、似たものばかりで金太郎飴みたいな集まりだったりします。
私の大好きな「ケンミンショー」でも、同じ県内でも「山一つ越えると全く違う食文化」ということもよくあります。
でも所詮狭い日本の中のこと、いずれにしろ大した違いではありません。
黙っていても通じる「あうんの呼吸」が必ずあります。
国や文化が違うとそうは簡単ではありません。
「話せば分かる」とか「みんな根はいい人ばかり」とは行かない場合もあります。
想定外や予想外に備える教育も必要です。
特に人種的に近く、顔が似ていると「ホントは分かってくれてる」等と期待してしまう、今日この頃です。
政治の話はあまりしたくないんですけど、最近騒がしいですね。
手段と目的、戦術と戦略、破壊と創造・・
似たような言葉は色々ありますが、どうしても高い志より小さな揉め事の方が面白いです。会社でも、壮大な長期経営計画より、目先の人事にみんな興味があります。
そういえば、こういう時に必ず出て来る、あの豪腕の方はどうされているのでしょう?
政局や選挙に強いというのは、やっぱり手段です。しかし闘いに勝てないと自分の信じる政策が実行できないのも事実です。
例えば選挙に強いというのは、多くの子分を国会議員にしてやる、ということですよね。
それってもっと下品に言えば、捕食活動に優れている、ということでしょう。
でもそれだけだったら、ヒトよりサメやワニの方がよっぽど上手いのですが・・
話は飛びますが、
あの島のことです。あの都知事を無視して、地権者が国に直接売る、というのは本当でしょうか?
口は悪いが志も胆力もあるあの人を飛び越えてですよ!
私は絶対都知事の作戦だと思います。
(理由)
1 長年都知事と信頼関係にある地権者が裏切るはずは無い。
2 首相は思想的にはヒトが思っているより都知事に近いのでは?しかし今は首相の立場にある。
3 中国が嫌っている都知事に売るより、国が買う方が中国を刺激しない。
4 いずれにしろ次の選挙で民主党は負けるが、首相は買うことで一仕事やったことにはなる。
5 次は自民党(大阪維新の会も含めて)が政権を担う。総理総裁は都知事よりも老けた、その息子がなる可能性も高い。
6 そうなれば都知事の思うがまま!
8月15日は、昨年もブログに書きましたが、「敗戦日」であって「終戦記念日」とは思いません。日本人は奥ゆかしいので、言いにくいことはオブラートに包み、はっきりとは言いません。
日本人の誰しもが戦争は嫌いです。先の大戦でも悲惨なことが起きました。そしてそれを語り続けることは大切ですし、先人の義務でもあります。しかし悲惨だから「戦争反対」と言うのは、そこで思考停止してしまいますし、単純過ぎます。
「戦略」と言う言葉は軍事用語ですが、政治家や経営者が好んで使います。しかし日本においては軍事面に於いてこそ「戦略」が不足していると思います。
「戦争」は、何万人死のうが「犯罪」ではありません。何故ならどちらも「自分が正しい」からです。どちらかが悪ければ「犯罪」です。そしてそれは「外交」の延長上にあります。たいていのことは「外交」で何とかなりますが、どうにもお互い譲れない場合に「戦争」になります。
国内だとこういう場合は警察も裁判所もあります。世界にはそのようなものはありません。
国際連合は各国の思惑で纏まらないし、国際司法裁判所も力はありません。現在はアメリカという「大親分」の傘下にいるだけです。そしてこの方の思惑は分かりませんし、最近歳を取って来た様に思えます。尚且つ日本も以前ほどは上納金が稼げなくなって来ました。
不幸にして戦争が起きた場合、「私は戦争には反対なので、戦いません。」とするなら、相手国の好き放題になります。平和な時は、この世で一番大切なものは、「自分の命」と思って間違いありませんが、非常時には「自分の命」より大切なものがあるように思います。
もし自分の住まいの地域が洪水で流され、隣のお宅との境界が分からなくなったとします。
法務局でも判断が着かなくなったとすれば、お互いの主張にかかって来ます。自分の方は「境界はここだ!」といくら言っても、隣は札付きの乱暴者で、代々「ウチはここだ!じいさんからそう聞いている。」と言われればラチは明きません。例えこちらが正しくても、じいさんからそう「教育」されていれば、隣の人は「自分の方が正しい」と思っています。
取り合えず、しばらくは「非武装地帯」として放っておいても、隣が家を建て始めたら揉めますね。
これが今の日本なら揉めて殴られるのはイヤなので、どんどん敷地が減って来ます。
取り返しが着かなくなっても、「暴力反対!話し合いで!」とただ叫ぶだけでしょう。
「未来の子供たちのために!」というフレーズが大好きなら、我々「今の大人」はもう少し頑張りたいですね。
話は全く飛びますが、
今回のオリンピックの柔道は残念でした。特に男子が・・
以前ブログに書きましたが、日本人は世界的に見ると、男女の体力差が最も少ない人種らしいです。そしてもともと男が弱すぎます。
以前日本人は子供の頃から柔道をやっていました。したがって外国人より体力的に劣っていても技術で何とかなりました。しかし東京オリンピックで採用されて以来50年近くが経過して、各国も何十年も取り組んで来ました。
「柔道」は「武道」ですが、オリンピックという「スポーツの祭典」に参加して競技する以上は「スポーツ」でなければその資格はありません。
これも以前に述べましたが、「武道」は「スポーツ」ではありません。武道にはルールも、相手の人数も、時間も、場所も、道具も、決まりはなく、逃げることも構いません。従うのは自分の倫理観と法律だけです。「スポーツ」はそれとは全く逆で、ルールに則り正々堂々と戦わなければなりません。
柔道もオリンピックの中でスポーツとして勝ちたければ、「スポーツとしての戦略」が必要ではないでしょうか?
大きな目標を立て「ヒト、モノ、カネ」をどう有効に使うか、少なくとも選手の自主性に任せたり、逆にしごいたりすることではないでしょう。監督だけの責任でもないでしょう。監督は「中間管理職」のように思えました。
「一本獲る柔道を目指す!」というのは、「武道」でも「スポーツ」でもなく、「芸術」のような気がしました。
ロンドンオリンピックが成功裡に終わりました。
これに触発され、何かスポーツをしたくなります。
とりあえず競歩や、シンクロの入場の歩き方、新体操のリボンの演技、の練習を始めたオジサンも多いのではないかと思います。(私だけですか?)
日本も今回はメダルを獲りましたね。過去最多の38個です。
金銀銅は別として、メダル獲得の国別ベスト10は、
1位 アメリカ 104個
2位 中国 87
3位 ロシア 82
4位 イギリス 65
5位 ドイツ 44
6位 日本 38
7位 オーストラリア 35
8位 フランス 34
9位 韓国 28
9位 イタリア 28
しかしこれを人口比で見ると、
1位 オーストラリア 63万人に1個
2位 イギリス 95
3位 韓国 171
4位 ロシア 174
5位 フランス 185
6位 ドイツ 186
7位 イタリア 218
8位 アメリカ 298
9位 日本 332
10位 中国 1551
オーストラリアは強いですね。
イギリスもすごいですね。メダルの数もすごいけど、犯罪発生率もたしか日本の5倍、先進国の中ではダントツです。もともとは「紳士の国」ですけどね。白人対白人だと「紳士」ですが・・
韓国は日本の2倍です。金メダルも13個獲っており、スポーツへの国としての力の入れ方がすごいです。
ヨーロッパ諸国はどこもしっかり獲っています。
日本はもう少し頑張らないといけません。まずはアメリカを捉えたいです。
中国はまだまだです。逆に言えばノビシロがあります。
話は飛びますが、
GNPで、中国は最近日本を抜きました。
でも1人当たりだと、日本の10分の1です。まだ少ないのですが、すぐ同じになる可能性を秘めています。
アメリカと日本の1人当たりGNPは同じくらいです。
でも個人個人の所得を見ると、アメリカの経営者やスポーツ選手の収入は桁が違います。
ということは上は高いが、下が安い、そして二極分化しているということです。
最近ネットで、このことについてのどなたかの文章を読みました。その通りだと思いました。その内容は、
アメリカは多民族国家であり、必ずしもみんなが英語を話せるとは限らない。従ってマニュアルが進化しました。そこでマニュアルを作る少数の人と、そのマニュアルで動く大多数の人の収入が同じはずは無い、ということらしいです。
たしかにアメリカのニ極分化は激し過ぎますが、プロジェクトやシステムを立ち上げる人と、その業務をこなして行く人の給料があまり変わらないのは、おかしなことです。
バブルの頃は「日本こそ最も進んだ共産主義国家だ!」「国民総中流化!」とある意味自慢げに語られました。
しかし財政的に厳しくなった今、どこかの市バスの運転手の年収1千万円というのは、もう有り得ない時代のようです。
オリンピックのメダリストは我々のような一般人ではありません。特別な才能を持った方々です。そして国威昂揚に努めています。報奨金数百万円は安過ぎます。全員がプロに転向できたり、CMやタレントで稼げる訳でもありません。
800人いる国会議員(中にはほとんど仕事をしてない人もいます)に毎年一人当たり億単位の税金を使うくらいなら、メダリストに年に数百万円単位の生涯年金を支給しても良いと思います。そうすれば安心して後進の指導が出来ます。
また話が飛びます。
「銀は金より良いと書くのよ」とか「銅は金と同じと書く」とかオヤジギャグのような
CMが流れてました。
そこで相場を調べてみました。
ちなみに銅メダルの銅はcopperではなく、bronze medalと言います。つまり銅ではなく、「青銅」です。「青銅」は銅と錫の合金で10円硬貨がそうです。ちなみに5円硬貨は「黄銅」で銅と亜鉛の合金です。
(8月13日付)
金 4329000円 /Kg
銀 77280円
青銅 470円
つまり金は銀の56倍、銅の9210倍です。
オリンピックの金銀銅メダルの価値に、こんなに差があるという意味ではありません。
WHO(世界保健機関)が5月に発表した2012年の世界各国の平均寿命で日本は83歳、193か国中第1位でした。男性80歳、女性86歳です。
旧約聖書によると、昔の人々はとんでもなく長生きでした。「創世記」には、ノアの箱舟のノアは大洪水の時は既に500~600歳だった、と記されています。
そこまでは無理でしょうが、医学をはじめとする科学技術は日々進歩しています。これからも平均寿命は延びていくことでしょう。ほとんどの人はそれを望んでいます。
でもそれは本当に幸せなことでしょうか?医療業界の端くれで、ご高齢の患者様がいる私にとって、このテーマは地雷を踏むようなものかも知れませんが・・
もしも仮に人間が今の10倍、800歳まで生きるとすればどうなるのでしょう。
地球上でごく少数の人だけが800歳まで生きるとするなら、それは医学的、生物学的に貴重な存在です。国家に生活が保障され、120歳を超えたあたりから毎年ギネスブック更新となります。
人生経験も10倍になります。思想や宗教、科学技術、政治経済など仙人のような方々がリーダーシップを発揮しているでしょう。
しかし全人類が平均寿命800歳となるとどうでしょう?
20歳で生殖可能となり、300歳位まで、2年毎に出産すれば、280年間に140名の子供ができます。その子供らが同じように出産して行けば、人口は天文学的な数字になります。土地もエネルギーも水も食糧も足りません。現在の70億人でも既に危なくなっています。
800歳の爺さん婆さんの子供は780歳、孫は760歳でそれぞれにねずみ算的に子孫がいる訳です。
少し話が飛びますが、
どんなに文明が進化しても、人間の死亡原因は4つしかありません。
「病死」「事故死」「自殺」「他殺」これだけです。みんなこのどれかで死にます。
厳密に言えば「自然死」などありません。「老衰」は必ず体の臓器のどれかが不全になる「病死」です。戦争によるものは「他殺」です。
もちろん複数の原因を持つ例もあります。過度の飲酒、喫煙、薬物中毒は「病死」でありながら、「慢性的な自殺」とも言えます。
飲酒運転や無免許運転による交通事故は「事故死」ですが、「未必の故意による他殺」と言えるかも知れません。
したがって800年の人生でも死亡原因は同じでしょう。しかし生きて行くことが大変です。
780歳位まで若々しければいいけど、600歳から200年間位高齢者で暮らすのは・・
何百年も安定的に生計を立てて行く生活苦。
若くして事故に遭った場合や病気で、何百年間も障がいを抱えたまま生きる、肉体的精神的な苦労。
水、食糧、エネルギー不足による紛争多発。
自殺も増えるような気がします。
何百年もの間、限り無い再チャレンジのチャンスがあったとしても・・
第一健康に天寿を全うできたとしても、いいかげん飽きるでしょうね。
今世界中で人口が増え続けています。しかし日本では少子高齢化が進み、私らのような「団塊の世代」が大量に高齢者になって来ますが、これからの30年間、この政治経済の状態では若い人たちが支えるのはとても大変です。
まあ「団塊の世代」はタフで自己主張が強いので、歳を取っても元気に働いて税金を納め続けてくれると嬉しいです。
私共医療従事者ができるささやかことは、高齢者のQOL(QUALITY OF LIFE 生命あるいは生活の質)を上げて行くことです。健康であれば社会貢献できる人々が増え、重篤な病気による多額な医療費も抑えられます。
最後は真面目なまとめになってしまいました。
テレビ通販で「サバイバルローラーバッグ」19800円、なるモノを買いました。
東日本大震災の後で、ちょっと不謹慎かも知れませんが、福岡市は大災害がおこる可能性がかなり低い都市らしいです。
こんなこと言うと、逆に起こりそうで恐い気もしますが・・
ある防災コンサルタントの言う 「大地震が来ても最後まで生き残る街」全国ランキングで、
第1位 福岡市
第2位 福岡県久留米市
第3位 山口市
第4位 熊本市
第5位 福岡県筑紫野市
とベスト5に福岡県の都市が3つも入っていました。
それにここ10年位北部九州に大きな台風が直撃することもありません。
最近福岡市で起きた災害は、
1999年(平成11年)6月29日 洪水 1時間77ミリの大雨
2003年(平成15年)7月19日 洪水 1時間99ミリの大雨
*これらの洪水で博多駅前にタクシーがぷかぷか浮いてました。
2005年(平成17年)3月20日 西方沖地震 震度6弱
4月20日 余震 震度5強
*これらの地震でかなりの建物に被害が出ました。
これ以降大きな災害はありません。
しかしこれ以降サバイバル用品を何か用意しなければ、と思いつつ何年も過ぎてしまいました。
そうしていたら「東日本大震災」が起こりました。直接の被害の無い九州に居ながら茫然自失です。
先日テレビの通販を見ていたら、「サバイバルローラーバッグ」なるモノが紹介されていました。「この際買うか!」
よく考えたら、サバイバル用品の「軸」が無いと思いました。それが無いとなかなか買い揃えるきっかけになりません。
このバッグには34アイテム入っています。ほとんどのアイテムは百円ショップでも揃います。
しかし購入のきっかけは、このバッグにはローラーが付いていて、22リットルの水が入ることです。要は給水車まで大量の水を貰いに行くことが、いかに大変か!ということです。
あとのポイントは「ラジオ付き携帯充電機能付き自家発電ライト」くらいです。
でも災害のケースによって必要なものが変わって来ますね。
1 家が潰れて、着の身着のままで逃げ出す。
2 家は残ったが、電気ガス水道のライフラインが止まる。
1の場合は着替え、テントや寝袋も必要かも知れません。
2の場合なら、飲料水、食料、コンロがあれば何とかなりそうです。
又もや不謹慎かも知れませんが、サバイバル用品やアウトドアグッズを揃えるのは結構楽しいです。
しかし専門的なモノより家庭用品の方が使い勝手が良いケースが多いです。
私は二輪が好きで、若い頃ホンダのXL250というオフロードバイクに乗っていました。
たまに「こんな所にオンロードバイクは入れないだろう!」というような林道を走っていると、向こうから「安全第一」と書いてあるヘルメットを被った作業服のオッサンがスーパーカブでトコトコやって来ます。がっかりです。
家内が缶詰を開けてくれと言うので、おもむろにスイスアーミーナイフを取り出し、開け始めると意外に時間がかかります。見兼ねた家内が台所の缶切りを投げて遣します。スイスイ切れます。
キャンプに行って、カレーを作ります。おもむろにサバイバルナイフを取り出し、肉や野菜を切り始めますが、刃厚があり過ぎて思うように切れません。結局包丁を使います。
やっぱりサバイバル用品は集めるのが楽しいです。
実際には使いたくありません。使わないことを祈ります。
先週の土曜日に上京して、母校の創部50周年記念式典に出席しました。
我が部は昨年度の全日本学生大会総合優勝、今年度の関東学生大会総合優勝と創部以来何度目かの全盛期を迎え、OB・OG・現役とも気合が入っていて350名も集まりました。
40年ぶりに再会した仲間もいて、感慨一入でした。そして色々なことが頭の中に浮かびました。
今になってみれば「若い頃は良かったなあ!」と言う方は多いと思いますが、誰しも青春真っ只中の時は「なんでこんなに苦しいんだろう?」と思っていた人の方が多いのではないでしょうか?
激しかったけど、ユルかった、という不思議な時代でした。
そして私ら「団塊の世代」(私は終わり頃ですが)が日本をこんなにしてしまったのではないか?という感情も拭い切れません。
自慢話を含めて振り返ります。
私は1971年に大学入学しましたが、時代はまだ70年安保の余韻が燻ぶり、学内はいつも騒然としていて、大学4年間の試験も前期後期と卒業試験の計8回のうち、7回はレポート提出で、まともに試験があったのは最後の卒業試験だけでした。
当然勉強などまともにした記憶はなく、これでいいのかなあ?と思いながら、部室だけに通う毎日でした。
その頃も我が部は全盛期でした。1972年に全日本学生大会団体乱捕で優勝しました。私はまだ2年生でしたし、補欠にさえ選ばれるようなレベルでもありませんでした。
各校5名づつで試合をします。体重制限など無く、グローブ着用でノックアウトで1本というルールです。
日本武道館での、各地区を勝ち抜いて来た140校のワンデートーナメントです。
優勝まで1日に7試合です。道衣は血だらけ、顎関節は噛み合いません。救急車も来ます。
もちろん今はそんな試合形式などありません。実は次の年に事故が多発し、それ以降中止になりました。
私も在学中に何度か骨折し、重篤な怪我を負った仲間もいましたが、みんな今も元気です。
話は遡ります。
高校時代は山岳部に所属してました。
ある時ロッククライミングに行くことになりました。その部は高校なのにロッククライミングもやるというのが「ウリ」でした。引率は顧問の先生一人だけです。
阿蘇高岳の「鷲ケ峰」という「九州の谷川岳」とも呼ばれる名所です。見上げると百メートルを超える絶壁です。しばしば死亡事故があります。岩壁には死者を弔うレリーフがあります。
私は恐怖で腰を抜かしながらも何とか登りましたが、その後ロッククライミングに行くことはありませんでした。
もっと遡ります。
中学時代の夏休みは毎年クラス全員で海水浴に行きました。
「団塊の世代」の名残りで、中学は1学年16組あり、1組は50名を超えていました。
引率は担任の先生一人で、保護者(当時は父兄と・)の付き添いなどありません。
海水浴場は砂浜ではなく岩場でした。スピーカーから流れて来る曲はサザンでもチューブでもなく「加山雄三」です。時々「黛じゅん」が混じります。
高校の顧問も中学の担任も、温厚でおとなしい先生でした。
幸運にも大した事故は起きなかったし、多少のことがあっても保護者が口を出すことはありませんでした。まして訴訟など・・
実際 当時の先生方はどう思っていたのでしょうか?腹を括っていたのでしょうか?
私にはそんな勇気はありません。
話は変わりますが、
スカイツリーは凄かったです!でも予約は無く、昇れませんでした。高い所が怖かった訳ではありません。
バイオリンの名器ストラディバりウスは17世紀後半から18世紀前半にかけてイタリアのアントニオ・ストラディバリが製作したものです。生涯約1100本作ったと言われてますが、現存しているのは約650本です。
昨年日本のある財団がイギリスのオークションにその1本を出品しましたが、これまでの最高額約12億7千万円で落札されました。
バイオリンは全く同じ形をしたものが10万円から約10億円まで、その価格は1万倍の開きがあります。
毎年お正月に一流芸能人を決めるテレビ番組がありますが、必ずバイオリンの音色を聴いて一流品を判定する場面があります。が、なかなか当たりません。
実際に専門家たちが同じような審査を、数10万円から数億円のもので、何度か判定をしているようですが、なかなか当たらないみたいです。
アコースティックギターは全く同じ形をしたものが、新品なら大体1万円から100万円で、100倍の開きです。
ギターの音色は価格に比例すると言われます。
私もたまに楽器店でひやかしで試奏させてもらいますが、10万円を超えるとそれなりの音がする、と私でも少しだけ感じます。
コーヒーの味に似ています。
見た目は区別の付かない粉ですが、飲んでみると分かります。
良いものは、「アロマの香り」と言うのでしょうか?僅かに馥郁とした深い香りと味が楽しめます。
人間に当てはめるのはどうかと思いますが、
年収5百万円の人だと普通です。5億円の人でもたまにいます。100倍の差です。
ではIQが100倍違うのかと言えば、そうではありません。
この差は何なんでしょう!ちょっとした差です。
商売やビジネスをしている人たちはこの差を追い求めています。
マーケティングなのか?イノベーションなのか?その両方か?それ以外か?
私も分かっていれば、今頃大金持ちのはずです。
顔の美容鍼は、ただ顔に極細の鍼を数十本刺すだけです。ほとんど痛みも感じません。
お化粧を取る必要もありません。30分で終わります。
施術前と施術後の写真を撮っても、その差異はまず現れないと思います。
効果は僅かかも知れません。
しかし大半の女性はその僅かな違いに気付きます。毎日鏡を見ているからです。
でもその差が嬉しいとは思いませんか?!
福岡市役所では職員の飲酒による事件があまりに多発するので、これから1か月間自宅以外での飲酒を禁止するそうです。
役所近辺の飲み屋さんは死活問題でしょうし、自宅に毎日早く帰って飲酒すれば、今度は家庭内が心配です。
要は公務員のカネと時間が余り過ぎているからではないですか?
対応は以前に比べればかなり良くなりましたが、某区役所に行くと、今だにスーツにサンダルを履いている男性職員がいます。
デパートの社員や銀行員がサンダル履きでフロアをウロウロすることはありません。お客様に接しているからです。市民はお客様ではないのでしょうね? 給与を大手企業並みにするなら、服装プロトコルもそれに準じたらどうかと思います。
話は変わりますが、
先日のニュースで、東京のデパートの初夏に向けてのターゲットが、40歳前後の独身男性だと聞いて驚きました。対象人口が多いのと、お金を持っているから、とのことです。
ここ博多の街は逆に、この年代の独身女性だらけです。そしてみんな美しいです!
このテーマでブログを書くと、私は大勢の患者様を失う危険性があります。
しかし日本の少子化対策のため、敢えて述べましょう! 残り時間が限られて来ましたから・・
最近弊院でも顔美容鍼のために女性が来られるようになり、昭和40年代後半生まれの方々のお話をお聞きすることが多くなりました。
「博多には オトコがいない!」
婚活パーティに行くと、いつも同じ男どもが来ている。その方々には興味は無い。
たまに「これは!」と思ったら、サクラか?
合コンに行くと、男どもの半分は既婚者だったりする。
福岡市は全国の政令指定都市の中で、結婚適齢期(?)の男女人口比に最も差があるらしいです。
私も、福岡市は全国でも最も住みやすい街、と自負しています。
女性は美しく洗練され、親は教育にも熱心ですが、県外にはなるべく出したがりません。女性の仕事は贅沢言わなければ、何とかなりますし、この街でほとんどのことが完結します。
但し大きな工業地帯などは無く、男の職場は不足気味です。
私ら以前の男どもは、意識するしないにかかわらず「九州男児」として育てられました。
「国」を想い、何よりリーダーシップを求められました(結果は問わないで下さい)。
根拠の無い自信に溢れ、すぐ大言壮語します。
「世界中を敵に回しても、俺は君を守る!」なんて言葉が大好きでした。
九州の女性は賢明なので、世界中を敵に回すバカなんぞに惚れるはずはありませんが、オクビにも出しません。
尤もそのくらいでなければ、西から明治維新など起きなかったかも知れませんが・・
もしかしたら私ら「九州男児」が威張れたのは、昔から女に比べ男が少なかったからなのかな?と思います。昔は「いくさ」で男は減りましたからね。
ヨーロッパよりアメリカの方が「レディファースト」だと感じます。
西部劇など観ると、危険な新天地には女性が極端に少ないです。酒場の女と大牧場主の令嬢しか出て来ません。タイプは違うけどどちらも魅力的です。荒くれ者のカウボーイ達も紳士になります。
九州の女性たちも「博多」に留まらず、より大都市を目指してはどうでしょう?
親御さんたちも「東京は危なかよ!」などと言わずに・・
少なくとも福岡より拳銃発砲事件は少ないです。
私見ですが、例えば東京育ちの男たちは「九州男児」に比べると、大勢の人の中でメンバーシップ、フォロワーシップをより身に着けていると思います。当然数少ない女性たちに細かい気遣いをします。言葉も寅さんやたけしさんの下町言葉だけでなく、女言葉のように聞こえる山の手言葉の優しい響きに、九州肉食女子も絆される可能性大です(しかしあせってはいけません。男の数は有り余る程です)。
誤解を恐れずに言いますが、東日本でこれだけ色々なことがあるなら、大手企業は本社機能をもう少し「博多」辺りに移転して頂けないでしょうか?それもエグゼクティブの単身赴任でなく(楽しいでしょうが・・)、幅広い年齢層の独身男性を・・
日本の人口減少に憂う毎日です。