博多メイはりきゅう院
電話予約OK 駐車場あり
福岡市博多区博多駅前1-18-15
エトワール博多204号
受付時間 10時~20時
休診:日曜日(祝祭日は営業)
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    やっとこの季節らしくなって来ました。
    ゴールデンウィーク中の予定は以下の通りです。

    4/29(日・昭和の日)    お休み
    4/30(月・振替休日)    営業
    5/ 1(火)           営業
    5/ 2(水)           営業
    5/ 3(木・憲法記念日)   営業
    5/ 4(金・みどりの日)   営業
    5/ 5(土・こどもの日)   お休み
    5/ 6(日)           お休み

    よろしくお願い致します。

    TSUNAMI

    東日本大震災の後、桑田佳祐さんの名曲(全てそうですが・・)の一つである「TSUNAMI」をマスメディアで聴くことはありません。

    昨年の震災と、曲の内容は全く関係がありませんが、時節柄仕方の無いことかも知れません。

    先月10日のラジオ番組で彼は「この曲が復興の象徴として、いつか歌える日が来れば・・」と言っていました。私もそう思います。しばらくは難しいかも知れませんが・・

    作曲家に限らず、芸術家には「旬」が必ずあります。
    そういう時って、考えなくても天から何かが降りて来るんでしょうね。
    羨ましい気がしますが、いずれそうでない時が必ず来るので、つらいことも多いでしょう。

    それにしても桑田さんは何十年経っても降りて来る方のようです。

    この曲の出だしは「ソドレミファソ」と上がって行きますが、この出だしのヒット曲はとても多いです。例えば藤井フミヤさんの「TRUE LOVE」もそうです。

    歌詞の出だしで言うと「WHEN I WAS YOUNG・・」ですね。今思い付くのは、カーペンターズの「YESTERDAY ONCE MORE」がそうです。

    いつか「TSUNAMI」が普通に歌える日が来ると良いのですが・・

    ドアモニ

    Panasonicのドアモニ買いました。

    これはいいですね!
    玄関ドアの上にカメラを装着して、室内でモニターを見ることができます。

    マンションならほとんどのドアに10秒で装着できます。
    ドアの上部に引っ掛けて止めるだけなので、工事の必要は全くありません。

    カメラからはコードレスで、携帯くらいの大きさのモニターで、室内のどこでもカラーで鮮明に見ることができます。

    わざわざドアミラーホールを覗きに行く面倒はなくなります。
    着脱が簡単なので、賃貸マンションを引越ししても、すぐ装着できます。

    約1万5千円です。
    もう1万円出すと、通話機能と録画機能が付いた上位機種が買えます。

    ドア上部のカメラは目立ちませんが、防犯にも役立ちます。

    台湾 その1

    東日本大震災追悼式で、外国の中で最大の義援金を送って頂いた、台湾に対する日本政府の対応が礼を欠いている、と自民党世耕議員がツイッターと国会で指摘して話題になっています。

    その通りだと思います。それで「台湾」について書きたくなりました。

    実は、外国の中で台湾は、私にとって一番好きな国です(日本は中国との関係上「国」として認めていませんが・・)。

    1972年電撃的なニクソン・毛沢東の米中会談にあわてた田中角栄首相は、その年のうちに「日中国交正常化」を果たしました。これはこれで歴史的な大英断でした。
    それによって日本と台湾との関係は、公的には断絶となりました。この時台湾は日本の立場を理解して、恨み言一つ言いませんでした。

    その後日本は中国との関係に夢中になり、それに反比例して台湾に対するマスコミや人々の関心が薄くなって行きました。当然学校でもまともに現代史を教えません。

    それから約10年後、日本人のほとんどが台湾のことを忘れた頃、今は廃刊になっていますが、「マルコポーロ」という雑誌が台湾特集を組みました。その内容に私は仰天しました。

    正確には覚えていませんが、台湾人へのアンケート「日本が好きですか?」という質問にイエスが79%でした。
    イギリス人評論家のコメントに「植民地国がかつての宗主国に好意を持っているケースは、世界に類を見ない」と。植民地経営の天才であるイギリス人が言うのだから間違い無いでしょう。

    植民地支配された国が心の底から旧宗主国に好意を持つということが、本当に有り得るでしょうか?
    日本が同じような植民地政策を取った東アジアの諸国は日本のことが、世界中で一番嫌いです。むしろそれが当たり前です。

    台湾だってそういう意味では、日本のことは好きではないでしょう。それではその真の理由は何なのか? そこに台湾のつらい歴史があります。

    結論を先に述べましょう。
    台湾の抑圧され続けた歴史の中で、他の支配者より日本の方がまだマシだった、ということだと思います。

    その理由を説明して行きましょう。

    台湾は九州と同じ位の国土を有し、人口は2300万人。
    人口のうち本省人(もともとの台湾人)が85%
    外省人(中国本土での国共内戦で、毛沢東率いる共産党軍に敗れた、蒋介石の国民党軍と共に移住して来た中国人)が13%
    この外省人が台湾の政治経済をはじめ国の権力を掌握して来ました。

    話は遡りますが、
    1700年代前半、近松門左衛門の浄瑠璃と歌舞伎で「国性爺合戦」(こくせんやかっせん)が大ヒットしました。
    この物語の主人公のモデルは、台湾の英雄「国姓爺 鄭成功」です。近松が「性」としたのは、物語が史実とかなり違うことと、当時は「姓」と「性」は同じ意味だったかららしいです。

    「国姓爺」とは中国の「明」のために活躍した「鄭成功」が皇帝から明国の「姓」を貰ったという意味です。「爺」は老人という意味ではなく、旦那とか大人のことらしいです。

    1662年「鄭成功」は台湾を植民地化していたオランダと戦って追い出しました。
    「鄭成功」の父親は台湾の対岸の福建人ですが、母親マツは平戸の田川氏の娘でした。つまり「鄭成功」は日台のハーフです。したがって両国に人気がありました。 (つづく)

    テレビ局

    昨日3月11日は東日本大震災から丁度1年目でした。我が身の健康など省みもされない天皇陛下の御意志や、東北の人々の災害に屈しない心意気、未だ癒えぬ様々なダメージと、予想以上に回復している所など様々な報道がされていました。

    新聞のテレビ番組表を見てビックリしました。
    テレQ(キー局はテレビ東京)の3月11日朝4時30分から翌朝3時までの約24時間の番組表には、東日本大震災関連の番組は一つもありませんでした。

    17年前の阪神淡路大震災の時も某国営放送はじめ他局がヘリコプターから絶叫している時に、この局はTVショッピングと時代劇をやっていました。

    受信料を強制的に徴収する某国営放送が、視聴者全般に押しなべて当たり障りの無い放送をしてしまうのは仕方の無いことです。しかし民放が何を放送しようが、倫理的にさほど問題が無ければ、直接的にはお金を貰っていない一般視聴者から、とやかく言われる筋合いはありません。こちらは見なければ良いだけです。

    実は、テレビ東京は私の一番好きなテレビ局です。
    40年以上も前に民放が1局しかない熊本から上京した私は、まず民放が5局あることにビックリしましたが、だんだんテレビに慣れてくると、それぞれの局の特徴に気付き始めました。

    3局はあまり違いが無く、Fジテレビは報道よりバラエティに強く、そしてテレビ東京は何とも捉えがたい妙な面白さがありました。時々オドロオドロしい特番もあります。食べ物で言えば、体に良いか悪いのか分からないけど、またすぐ食べたくなるB級グルメです。

    アイドルよりキレイな女子アナを大勢集めている他局に比べ、少数精鋭で堅い報道からバラエティまでこなします。それも司会という第3者的立場から(意図的に?)踏み外すことも多々あります。

    某国営放送では、番組内では踏み外すことはまずありませんが、プライベートなところで踏み外す方が時々おられます。

    夜11時からのニュース番組「ワールドビジネスサテライト」は、どれも同じような他局のニュースに比べて格段に面白く、海外特派員はまともなメイクさえしていません(たぶん自分でしています)し、新商品の紹介コーナーでは女子アナがヘタな小芝居までします。
    親会社があの堅い「日本経済新聞社」というのも笑えます。

    地元のテレQも、他局のように(どこの地方も同じでしょうが)午後や深夜に同じ顔ぶれの、地元のドンに仕切られたローカルタレントがバカ騒ぎすることもあまりありません。

    未曾有の不景気の上、いつもネタ切れで大変な業界(某国営放送を除いて)でしょうが、くれぐれも同じ方向を向かないことを期待致します。

    日本語は難しい

    言葉は時代によって変化して行きます。それはどこの国の言語でも同じです。そしてどこの国の人も無意識に母国語を話しています。しかし日本語は難しいです。

    挨拶一つとっても訳が分からないことが多いです。
    最近のガムのCMで、K村Kエラさんが関西弁でしゃべってます。
    「ほな さいなら」
    「ほな」は標準語なら「そういうことなら」という意味でしょう。
    「さいなら」=「さようなら」=「そういうことなら」
    つまり同じ言葉を2回繰り返しています。

    そもそも別れの挨拶で「そういうことなら」と言う国は他にあるのでしょうか?
    英語なら「GOOD BYE」=「GOD BE WITH YE」=「神様があなたと共にいますように」
    GODがGOODになったのは、他の挨拶である「GOOD MORNING]「GOOD AFTERNOON」等に影響を受けたためらしいです。

    「おはよう」は相手が早い時間から活動開始している勤勉さを賞賛しています。
    「こんにちは」「こんばんは」は「今日の調子はいかがか?」=「HOW ARE YOU?」でしょう。
    「おかえり」「ただいま」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみ」の意味はそのままです。

    「ありがとう」=「有り難い事です」=「滅多にないことです」
    英語なら「THANK YOU」=「あなたに感謝します」
    中国語なら「謝々」=「感謝します」
    なんと直接的なんでしょう。

    「こんにちは」の代わりの「どこ行きよっと?」「どこ行くねん?」はこれまでは通用しましたが、これだけ世の中が殺伐になると「おまえの知ったことか!」と言われかねません。

    「すみません」=「済みません」=「このままでは終われません」
    ということは謝るケースだけでなく、お礼を言う場合にも使用可能です。
    つまり謝る場合は「私がしたことは、このままでは終われないくらい悪かった」
    お礼の場合は「あなたがしてくれたことは、このままでは終われないくらい嬉しい」
    主語が変わるだけで、両方に使います。
    したがって「申し訳ありません」も同様にお礼の際にも使われます。

    日本が東アジアの旧植民地国にいくら「すみません」と謝罪しても、「だろ!済む訳ないだろう!自分で済む訳ないと言っているんだから!」といつまでも言われます。

    「どうも」は意味不明の万能語です。ハワイ語の「ALOHA」でしょうか?

    国会中継をよく見ます。
    最近よく聞く言葉は、セイドセッケイ(制度設計)、ガイゼンセイ(蓋然性)、タンポ(担保)、ゴギロン(御議論)、オシメシ(御示し)等ですが、一般社会ではあまり使われません。

    敬語は難しいです。一般的には、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3分類ですが、
    最近は、それに丁重語、美化語を加えた5分類になっています。もう私ら普通の日本人では使いこなせません。

    天皇陛下が無事にご退院されました。嬉しく思います。東日本大震災追悼式典ご出席への並々ならぬご決意が感じられます。

    術後の記者会見で実際に執刀したJ大学のA教授の言葉使いは見事でした。しかし中央に座っていたT大学のO教授の敬語はかなりおかしかったです。日本のトップの大学のトップの医学部のトップの診療科である心臓外科のトップの方でしたが・・

    例えば「皇后様が病室に参られて・・」という具合でした。「いらっしゃって」、「お見えになられて」、「お越しになられて」でしょう。尊敬語と謙譲語の誤用が気になりました。まあ天皇陛下の手術を担当するということは、そのくらい緊張するということかも知れません。

    東京大学順天堂大学共同医療チームとは陛下のことを考えての最善の選択だったのでしょうが、その評価は分かれることでしょう。ご入院されたのは東大病院でしたし、O教授はさぞ悔しかったと思います。

    昨夜のFジテレビのニュースでは「警官が犯人を逮捕する際にオデコを負傷しました」と・・
    すかさず「ヒタイだろ!」と画面にツッコミ入れました。

    武道 その11

    4月から中学の武道必修化が始まります。喜ばしいことと思います。
    しかし教師の準備や安全面、保護者の理解等クリアすべき課題が山積していると思います。

    少林寺拳法も選択できる武道の一つであり、組織としても準備を進めて来ましたが、あまり一般的でなく、講師の数等でも苦戦していると思われます。私も協力している訳ではないので、偉そうにコメントする立場には無いのですが・・

    でも教育現場で武道を必修にすることには大賛成です。
    武道は日本の代表的な伝統の一つですし、海外に行けば日本人なら必ずかなりの使い手に違いないと誤解され、恥ずかしい思いをされた方も多いと思います。

    欧米人に比べ情けなくなるくらい、身体能力に劣る日本人男性は護身のため、何か武道の心得があっても良いと思います。
    日本人と同じような体格の東アジアの周辺諸国では、だいたい徴兵制があり20歳前後の男性全員が、2~3年みっちりと徒手格闘つまり素手かナイフでの人の殺し方を学びます。

    国防の面でも、これまで日本はお金持ちでしたので、お金でアメリカに守ってもらって来ましたが、もうこれからは期待できません。

    体育の授業の中での武道の時間は年間数時間でしょう。サワリのサワリに過ぎません。しかしバスケットボールでもサッカーでも同じです。部活でやっている子から見れば、遊びに過ぎません。でもやるのとやらないのでは全く違います。

    そもそも人間がまあまあ上手だというレベルに達するには、5千時間位の練習が必要だと言われています。小学1年生で始めて1日2時間、年間250日、つまり10年後、高校卒業の頃やっと一人前としてのスタートラインに立てます。

    武道やスポーツでなくても、例えば音楽、ピアノの演奏で、ヒトに上手だなと思わせるレベルにまで行くには5千時間は最低必要条件です。そこからごく一部の優れた人だけがプロへ進みますが、充分生活できる人は又そのごく一部です。

    実際に体育の授業の中で行われるとすれば、色々な条件から主体は柔道になると思われます。厳密に言えば武道ではないかも知れませんが、相撲でも良いと思います。体技なら良いのではないでしょうか?

    バスケット、バレーボール、サッカー等の団体球技、陸上や水泳等のスピード競技は普通にあります。しかしこれまで無かった武道(格闘技)は個人競技なので味方はいません、尚且つ相手に面と向かって闘います。相手の汗や唾がかかります。相手と自分の力が実感できます。又相手の技で痛い思いもしますし、当然逆もあります。感情のコントロールも学びます。

    中学では無理かも知れませんが、打撃系の武道もやってほしいところです。日本人は組み合ってからの動きならまだ何とかなりますが、顔を殴られることへの身体的反応、ダメージそして精神的ダメージはなかなか想像出来ません。

    柔道の安全面が危惧されています。学校サイドは神経質な程気を付けるでしょう。でも事故は起きます。だからと言って鍛えなければ、日本人はどんどん貧乏な虚弱児になって行くでしょう。

    事故の最少化への努力を期待します。

    美容鍼灸 その13

    40年程前 学生の時にアメリカ人女子留学生から「日本のバレンタインデーはどうして女が男にプレゼントあげなきゃいけないの?それもなんでチョコレートなの?」と訊かれ、そもそもバレンタインデーについて、まだあまり知らなかった私は「オレはキリスト教徒ではないので・・」というその後何も膨らませようのない返答をしてしまいました。

    幸運にも私の青春時代にはバレンタインデーはまだ一般的ではなかったので、貰えない情けなさはあまり味あわずに済みました。

    バブル時代のバレンタインデーは大変でした。
    多くのオッサンたちに囲まれたOLさんは、人事権を握っているライン長にならまだしも、何故この窓際のオッサンたちに少ない給料からプレゼントを買わなきゃいけないのかウンザリしていました。2月14日には病欠したくなります(構わないから休んでしまいなさい)。
    貰っていた私らも申し訳ない気がしてました。

    お局さんクラスになれば、業務の一環として流れ作業のようにこなしますが、誰に渡したか?は決して忘れていません。

    「ハロウィン」は10年位前からですね。
    関西で暮らしたことのない私が「恵方巻き」を知ったのも10年位前でした。

    色々な習慣はコマーシャリズムの計画立案と巧みなマーケティングにより、自然に生活に溶け込んで行きます。

    2年程前 弊院に水のサーバーのレンタルのセールスに来たある若手社員は、私の「水道があるから結構です。」という断りに「えっ! 水道水って飲めるんですか?!」と答えました。
    だんだん古く頑固になって来た私は「日本で水を買って飲むようになったのは、ここ15年か20年位だ!日本の水道は世界一衛生的なんだぞ!」と説教してしまいました。

    我が国の近くのあの大国や東南アジアに出張した時は、さすがの私でも、歯磨きさえ水道水は使いませんでした。地元の人たちは水道水での食器洗いの後は、熱湯をかけてましたね。

    最近あることから、まわりの人たちに「水道水をじかに飲みますか?」と訊いたところ10人中9人が飲まないとのことでした。ショックでした。

    私が若い頃は、髪を染めている女性はわずかでした。もともと茶髪がかった中高生は学校側の対応に厭な思い出があります。今は染めてない人はほとんどいません。染めてない人はむしろ意識的に染めていません。

    ヨーロッパのプロリーグに行ったJリーガーが、ド金髪に染めました。「何故?」と訊かれて「目立ちたいから」と答えてましたが、ヨーロッパでは逆に目立たないはずです。プレーも目立ちませんでした。

    最近女性がネイルサロンに行くのは当たり前ですね。これほどまでになるとは思いませんでした。

    顔美容鍼も意外に早くそうなるような気がします。

    冷蔵庫

    先週新しい冷蔵庫P社の552Lのモノを買いました。さすがに良いですね。

    これまでのが壊れた訳ではありません。
    最近これでは小さ過ぎると思ってましたし、古いモノなのできっと電気も喰っていると思いまして。

    実はこの古い冷蔵庫は、結婚当初1977年に買ったモノで、我が家最古の家電でした。
    35年近く壊れず、9回の引越しにも耐えました。
    シャープ製ALASKA240L、その当時流行ったライトグリーンで、初めて冷凍庫が冷蔵室の下に付いているモノでした。処分するとなると、少し切ない気がしました。

    昔の家電は電気喰うけど丈夫でしたね。
    故障しなかったけど引越しの都合で処分したエアコンも、20年位使いましたが、新撰組の刀創があったとしても違和感の無い、木目調のしっかりしたモノでした。

    最近の家電は省エネ設計ですが、耐久性に欠ける気がします。
    家電を買う時は電器屋さんで耐用年数を必ず訊くようになりました。
    死ぬ前に壊れたら困りますから。

    猫2匹飼ってますが、こっちも元気で長生きして欲しいけど、私らより長く生きてもらっては困ります。これもせつない気がします。

    私はもう少しで還暦ですから、平均寿命まで20年です。
    これからは家電も猫もそれを考えて買い(飼い)ますよ。

    武道 その10

    最近テレビで日本刀に拳銃を発射して、弾を真っ二つにする映像や、欧米の剣と日本刀を比較する番組を見ました。
    改めて日本刀の凄さにビックリしました。

    又しても私事で恐縮ですが、
    30年近く前、私が30歳の誕生日の頃、父から実家に来るように連絡がありました。

    「おまえも30歳になったことだし、記念にこれをやる!」と手渡されたモノは、日本刀でした。黒鞘で飾り気の無い古い大ぶりの戦場刀で、柄(つか)を抜いてみたら茎(なかご)に、たしか「備前国住次郎左衛門尉勝光」と銘がありました。つまり備前長船か!?重いけどやや手元調子(柄に近い方が重い)で振り回し易そうです。

    兄もその前の年に無銘で小ぶりながら、拵え(こしらえ)の華やかなモノを一振り貰っていました。

    もともと実家の蔵にあったモノか、父がどこかで買って来たモノかは分かりません。

    前述のように父は陸軍将校で、金属が専門のエンジニアだったので、武器や軍装品であった刀に詳しく、自分の軍刀も実家にあった数本のうち、細身で短めで軽いモノを軍刀仕様にして持参したようです。
    日本帝国陸軍に於いて「武士の魂」である軍刀は、将校は私物(下士官のは官給品)を用意せねばならず、拵えもかなりの自由度があったようです。

    明治維新後、軍隊に於ける日本刀の武器としての価値は失われていましたが、意外にも日露戦争でのロシア陸軍との白兵戦でその有効性を再評価されました。

    でも近代の軍隊では日本刀は無用の長物ではないかと思います。
    というのは日露戦争の頃の小銃はボルトアクションなので、1発1発の装填に手間がかかり、刀で切り込めるケースもありましたが、その後は次第に小銃もセミオートマチックになり、自動拳銃、サブマシンガン、ショットガンも出て来た太平洋戦争以降の接近戦闘で、刀の存在価値は無くなって行ったのでしょう。
    腰に帯刀しての長距離行軍は疲れます。使っても突撃の際の指揮刀としてです。したがって父は軽く短いモノを持参した訳です。

    実は兄も私も日本刀に興味はありません。私は武道を好みますが、何故か日本刀には何の思いもありません。しかしせっかくくれた父には兄も私も何も言えませんでした。一人前になった?息子二人にそれぞれ刀を与えた父親の気持ちは理解出来ましたから・・

    その後結婚し二人の女の子をもうけた兄は自宅に危ない刀など置いておくつもりはなく、当時転勤族だった私も、引越しの度に持ち歩く訳にも行かず、二人とも刀を実家に預けました。

    しばらく経って又父から呼び出しがありました。
    「おまえらに刀をやったので、俺のモノが無い。オレのはコレだ!」と白鞘の一振りを自慢げに取り出しました。デパートの刀剣展で買って来たらしいです。怖くて値段は訊けません。
    柄を抜くと、茎になんと「虎徹」と切ってあります!

    今でも悔やまれますが、父の前で兄と私は思わず笑ってしまいました。
    新撰組の近藤勇が持っていたことで有名な「虎徹」は1600年代後半の作なのに、それは昨日作ったかのようにピカピカです。少しは騙して欲しいのに、何のキズも無いステンレスのようです。「虎徹を見たら偽物と思え!」と言われるほど贋作だらけです。それどころか本物だったら家が買えるくらいの値段のはずです。でも「虎徹」の特徴である浅い反りで肉厚、やや先調子(先が重たい)で切断力は凄そうですが・・
    みるみるうちに、自慢げだった父が不機嫌になりました。

    10数年後、私は脱サラし3年間鍼灸学校に通いました。その後資金が底を突いた状態で福岡に帰ってきて開業しました。「そうだ!勝光があったはずだ!」刀には興味無かったけど、刀の値段には興味がありました。実は「勝光」を貰ってすぐ日本刀の専門書を数冊買いました。日本が絶好調の頃でした。「勝光」は1500年代初めのモノで650~800万円、と書いてありました。今はもうバブルは弾けたけど、偽物でも100万円位にならんかなあ?

    父には直接訊けなかったけど、母、兄、妹に電話しました。みんな口籠ります。

    「虎徹」の一件の後、怒った父は「虎徹」をすぐ売り払い、なんと私の「勝光」をグラインダーで刃を潰し、細かく切断して捨てました。

    兄の「無銘」だけは、脳卒中で不自由になった手で手入れをしているそうですが、母は危ないので気が気ではないそうです。兄は「刀は要らない」と言うし、母は「早く処分してくれ」と言うので、父を説得し、安かったけど、私が博多で売却しました。

    刀に詳しい父のことですから、「虎徹」が本物だとは全く思っていなかったでしょう。
    兄と私は、どや顔の父にただ「凄いね!」と言えば良かったのです。
    真贋は別にして、それぞれの刀工の方にも申し訳ないことをしました。

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