4月から中学の武道必修化が始まります。喜ばしいことと思います。
しかし教師の準備や安全面、保護者の理解等クリアすべき課題が山積していると思います。
少林寺拳法も選択できる武道の一つであり、組織としても準備を進めて来ましたが、あまり一般的でなく、講師の数等でも苦戦していると思われます。私も協力している訳ではないので、偉そうにコメントする立場には無いのですが・・
でも教育現場で武道を必修にすることには大賛成です。
武道は日本の代表的な伝統の一つですし、海外に行けば日本人なら必ずかなりの使い手に違いないと誤解され、恥ずかしい思いをされた方も多いと思います。
欧米人に比べ情けなくなるくらい、身体能力に劣る日本人男性は護身のため、何か武道の心得があっても良いと思います。
日本人と同じような体格の東アジアの周辺諸国では、だいたい徴兵制があり20歳前後の男性全員が、2~3年みっちりと徒手格闘つまり素手かナイフでの人の殺し方を学びます。
国防の面でも、これまで日本はお金持ちでしたので、お金でアメリカに守ってもらって来ましたが、もうこれからは期待できません。
体育の授業の中での武道の時間は年間数時間でしょう。サワリのサワリに過ぎません。しかしバスケットボールでもサッカーでも同じです。部活でやっている子から見れば、遊びに過ぎません。でもやるのとやらないのでは全く違います。
そもそも人間がまあまあ上手だというレベルに達するには、5千時間位の練習が必要だと言われています。小学1年生で始めて1日2時間、年間250日、つまり10年後、高校卒業の頃やっと一人前としてのスタートラインに立てます。
武道やスポーツでなくても、例えば音楽、ピアノの演奏で、ヒトに上手だなと思わせるレベルにまで行くには5千時間は最低必要条件です。そこからごく一部の優れた人だけがプロへ進みますが、充分生活できる人は又そのごく一部です。
実際に体育の授業の中で行われるとすれば、色々な条件から主体は柔道になると思われます。厳密に言えば武道ではないかも知れませんが、相撲でも良いと思います。体技なら良いのではないでしょうか?
バスケット、バレーボール、サッカー等の団体球技、陸上や水泳等のスピード競技は普通にあります。しかしこれまで無かった武道(格闘技)は個人競技なので味方はいません、尚且つ相手に面と向かって闘います。相手の汗や唾がかかります。相手と自分の力が実感できます。又相手の技で痛い思いもしますし、当然逆もあります。感情のコントロールも学びます。
中学では無理かも知れませんが、打撃系の武道もやってほしいところです。日本人は組み合ってからの動きならまだ何とかなりますが、顔を殴られることへの身体的反応、ダメージそして精神的ダメージはなかなか想像出来ません。
柔道の安全面が危惧されています。学校サイドは神経質な程気を付けるでしょう。でも事故は起きます。だからと言って鍛えなければ、日本人はどんどん貧乏な虚弱児になって行くでしょう。
事故の最少化への努力を期待します。
40年程前 学生の時にアメリカ人女子留学生から「日本のバレンタインデーはどうして女が男にプレゼントあげなきゃいけないの?それもなんでチョコレートなの?」と訊かれ、そもそもバレンタインデーについて、まだあまり知らなかった私は「オレはキリスト教徒ではないので・・」というその後何も膨らませようのない返答をしてしまいました。
幸運にも私の青春時代にはバレンタインデーはまだ一般的ではなかったので、貰えない情けなさはあまり味あわずに済みました。
バブル時代のバレンタインデーは大変でした。
多くのオッサンたちに囲まれたOLさんは、人事権を握っているライン長にならまだしも、何故この窓際のオッサンたちに少ない給料からプレゼントを買わなきゃいけないのかウンザリしていました。2月14日には病欠したくなります(構わないから休んでしまいなさい)。
貰っていた私らも申し訳ない気がしてました。
お局さんクラスになれば、業務の一環として流れ作業のようにこなしますが、誰に渡したか?は決して忘れていません。
「ハロウィン」は10年位前からですね。
関西で暮らしたことのない私が「恵方巻き」を知ったのも10年位前でした。
色々な習慣はコマーシャリズムの計画立案と巧みなマーケティングにより、自然に生活に溶け込んで行きます。
2年程前 弊院に水のサーバーのレンタルのセールスに来たある若手社員は、私の「水道があるから結構です。」という断りに「えっ! 水道水って飲めるんですか?!」と答えました。
だんだん古く頑固になって来た私は「日本で水を買って飲むようになったのは、ここ15年か20年位だ!日本の水道は世界一衛生的なんだぞ!」と説教してしまいました。
我が国の近くのあの大国や東南アジアに出張した時は、さすがの私でも、歯磨きさえ水道水は使いませんでした。地元の人たちは水道水での食器洗いの後は、熱湯をかけてましたね。
最近あることから、まわりの人たちに「水道水をじかに飲みますか?」と訊いたところ10人中9人が飲まないとのことでした。ショックでした。
私が若い頃は、髪を染めている女性はわずかでした。もともと茶髪がかった中高生は学校側の対応に厭な思い出があります。今は染めてない人はほとんどいません。染めてない人はむしろ意識的に染めていません。
ヨーロッパのプロリーグに行ったJリーガーが、ド金髪に染めました。「何故?」と訊かれて「目立ちたいから」と答えてましたが、ヨーロッパでは逆に目立たないはずです。プレーも目立ちませんでした。
最近女性がネイルサロンに行くのは当たり前ですね。これほどまでになるとは思いませんでした。
顔美容鍼も意外に早くそうなるような気がします。
先週新しい冷蔵庫P社の552Lのモノを買いました。さすがに良いですね。
これまでのが壊れた訳ではありません。
最近これでは小さ過ぎると思ってましたし、古いモノなのできっと電気も喰っていると思いまして。
実はこの古い冷蔵庫は、結婚当初1977年に買ったモノで、我が家最古の家電でした。
35年近く壊れず、9回の引越しにも耐えました。
シャープ製ALASKA240L、その当時流行ったライトグリーンで、初めて冷凍庫が冷蔵室の下に付いているモノでした。処分するとなると、少し切ない気がしました。
昔の家電は電気喰うけど丈夫でしたね。
故障しなかったけど引越しの都合で処分したエアコンも、20年位使いましたが、新撰組の刀創があったとしても違和感の無い、木目調のしっかりしたモノでした。
最近の家電は省エネ設計ですが、耐久性に欠ける気がします。
家電を買う時は電器屋さんで耐用年数を必ず訊くようになりました。
死ぬ前に壊れたら困りますから。
猫2匹飼ってますが、こっちも元気で長生きして欲しいけど、私らより長く生きてもらっては困ります。これもせつない気がします。
私はもう少しで還暦ですから、平均寿命まで20年です。
これからは家電も猫もそれを考えて買い(飼い)ますよ。
最近テレビで日本刀に拳銃を発射して、弾を真っ二つにする映像や、欧米の剣と日本刀を比較する番組を見ました。
改めて日本刀の凄さにビックリしました。
又しても私事で恐縮ですが、
30年近く前、私が30歳の誕生日の頃、父から実家に来るように連絡がありました。
「おまえも30歳になったことだし、記念にこれをやる!」と手渡されたモノは、日本刀でした。黒鞘で飾り気の無い古い大ぶりの戦場刀で、柄(つか)を抜いてみたら茎(なかご)に、たしか「備前国住次郎左衛門尉勝光」と銘がありました。つまり備前長船か!?重いけどやや手元調子(柄に近い方が重い)で振り回し易そうです。
兄もその前の年に無銘で小ぶりながら、拵え(こしらえ)の華やかなモノを一振り貰っていました。
もともと実家の蔵にあったモノか、父がどこかで買って来たモノかは分かりません。
前述のように父は陸軍将校で、金属が専門のエンジニアだったので、武器や軍装品であった刀に詳しく、自分の軍刀も実家にあった数本のうち、細身で短めで軽いモノを軍刀仕様にして持参したようです。
日本帝国陸軍に於いて「武士の魂」である軍刀は、将校は私物(下士官のは官給品)を用意せねばならず、拵えもかなりの自由度があったようです。
明治維新後、軍隊に於ける日本刀の武器としての価値は失われていましたが、意外にも日露戦争でのロシア陸軍との白兵戦でその有効性を再評価されました。
でも近代の軍隊では日本刀は無用の長物ではないかと思います。
というのは日露戦争の頃の小銃はボルトアクションなので、1発1発の装填に手間がかかり、刀で切り込めるケースもありましたが、その後は次第に小銃もセミオートマチックになり、自動拳銃、サブマシンガン、ショットガンも出て来た太平洋戦争以降の接近戦闘で、刀の存在価値は無くなって行ったのでしょう。
腰に帯刀しての長距離行軍は疲れます。使っても突撃の際の指揮刀としてです。したがって父は軽く短いモノを持参した訳です。
実は兄も私も日本刀に興味はありません。私は武道を好みますが、何故か日本刀には何の思いもありません。しかしせっかくくれた父には兄も私も何も言えませんでした。一人前になった?息子二人にそれぞれ刀を与えた父親の気持ちは理解出来ましたから・・
その後結婚し二人の女の子をもうけた兄は自宅に危ない刀など置いておくつもりはなく、当時転勤族だった私も、引越しの度に持ち歩く訳にも行かず、二人とも刀を実家に預けました。
しばらく経って又父から呼び出しがありました。
「おまえらに刀をやったので、俺のモノが無い。オレのはコレだ!」と白鞘の一振りを自慢げに取り出しました。デパートの刀剣展で買って来たらしいです。怖くて値段は訊けません。
柄を抜くと、茎になんと「虎徹」と切ってあります!
今でも悔やまれますが、父の前で兄と私は思わず笑ってしまいました。
新撰組の近藤勇が持っていたことで有名な「虎徹」は1600年代後半の作なのに、それは昨日作ったかのようにピカピカです。少しは騙して欲しいのに、何のキズも無いステンレスのようです。「虎徹を見たら偽物と思え!」と言われるほど贋作だらけです。それどころか本物だったら家が買えるくらいの値段のはずです。でも「虎徹」の特徴である浅い反りで肉厚、やや先調子(先が重たい)で切断力は凄そうですが・・
みるみるうちに、自慢げだった父が不機嫌になりました。
10数年後、私は脱サラし3年間鍼灸学校に通いました。その後資金が底を突いた状態で福岡に帰ってきて開業しました。「そうだ!勝光があったはずだ!」刀には興味無かったけど、刀の値段には興味がありました。実は「勝光」を貰ってすぐ日本刀の専門書を数冊買いました。日本が絶好調の頃でした。「勝光」は1500年代初めのモノで650~800万円、と書いてありました。今はもうバブルは弾けたけど、偽物でも100万円位にならんかなあ?
父には直接訊けなかったけど、母、兄、妹に電話しました。みんな口籠ります。
「虎徹」の一件の後、怒った父は「虎徹」をすぐ売り払い、なんと私の「勝光」をグラインダーで刃を潰し、細かく切断して捨てました。
兄の「無銘」だけは、脳卒中で不自由になった手で手入れをしているそうですが、母は危ないので気が気ではないそうです。兄は「刀は要らない」と言うし、母は「早く処分してくれ」と言うので、父を説得し、安かったけど、私が博多で売却しました。
刀に詳しい父のことですから、「虎徹」が本物だとは全く思っていなかったでしょう。
兄と私は、どや顔の父にただ「凄いね!」と言えば良かったのです。
真贋は別にして、それぞれの刀工の方にも申し訳ないことをしました。
コンビニやホカ弁のレジで漢字一文字の店員さんだと、「春節は帰らんとね?」とつい話しかけてしまいます。
弊院のぼろマンションにも何人かの外国人が入居しています。最初はルールを守ってくれませんので、管理組合の役員である私も3回位注意して、それでも従ってくれない時は実力行使に移ります。でも腹は立ちません。
訳の分からない外国に単身でやって来て、一旗揚げるためか、仕送りするのか、それは分かりませんが、その根性に敬意を表します。安全な無菌室に閉じこもっているような私ら日本人より余程勇気があります。
最近「満蒙開拓団」や「アメリカ移民」のテレビドラマをよく見かけます。
私事で恐縮ですが、
私の父方の祖父母(私の父の両親)もアメリカ移民でした。貧しくて日本では喰って行けないと思った祖父は、大正の初めつまり20世紀初頭に家族を残し単身アメリカに渡りました。
これは何とかなるかも知れないと判断した祖父は一時帰国し、再度家族を連れ、片道切符だけ買って無一文で渡米しました。
祖母と子である父たち4人兄妹のうち父を除き、年の離れた兄二人(私にとって伯父)と乳離れしてない妹(私にとって叔母)というメンバーです。それ以外にも親戚や近所の人たちも数名いたようです。父は乳離れした幼児でしたので、足手まといになるということで、日本の親戚の家に預けられました。その後父が両親に会うのは、10年後小学6年生の夏休みに単身船で渡米した時になります。
シアトルに住み着いた一族は、祖父が線路工夫、庭師、クリーニング屋、床屋等数多くの肉体労働をし家族を養いました。伯父二人はハイスクールから大学まで進みました。上の伯父が「学生時代に演劇部にいた長身で美形の男はその後映画俳優になったよ。ゲーリークーパーというけど・・」と言ってました。
祖父母は渡米7年で、シアトルのダウンタウンに客室が200あるホテルを買い、経営を始めました。その当時シアトルの日系移民の出世頭です。普通のやり方では成れません。
1920年代アメリカは「ローリングトゥエンティ」と呼ばれ、禁酒法の時代でした。
祖父母は違法に密造酒を作り、儲けました。それ以外にもえげつないことをやってたに違いありません。
約10年間 豊かに暮らしましたが、祖母がホームシックになり、1931年全員で帰国することになりました。ホテルは中国人に貸しました。
毎月毎月膨大な賃貸料が入ります。祖父母は地元の土地や田畑を買いまくりました。
しかしその後太平洋戦争が始まりました。
帰国していましたので、収容所生活は免れましたが、ホテルは中国人に取られました。
警察からは、いつも見張られています。肩身が狭い感じです。
父は前述のように、日中戦争当時、中尉の中隊長として従軍していましたが、「憲兵にいつも見張られていた」と話していました。
戦後「農地改革」があり、手に入れていた土地や田畑は国に没収され全て失いました。
しかしほぼネイティブスピーカーだった伯父叔母は、戦後の生活には困りませんでした。
戦後しばらくして嫁いで来た私の母は、姑(私の祖母)から「箱に入ったちり紙(たぶんティッシュペーパーのこと)があったら買って来て」とか「日本の車には電話が付いとらんけん不便やね」とか言われ、意味が分からなかったそうです。その頃はまだ新聞紙でケツ拭いてましたし、移動電話が普及するのはその50年後でした。
そんな国と戦争したんですよ!
私が小さな子供の頃、田舎で祖父の葬式があり一族が集まりましたが、紋付袴、留袖等着物姿なのに、会話は英語が混じるという変な雰囲気でした。
1995年アメリカを訪れた際に、シアトルに寄りました。ホテルは既に無く、跡地にパーキングビルが建っていました。そこをしつこくカメラで撮っていたら、通りがかった親切な老夫婦に
「こんな所撮らなくても、他に良い所がいっぱいあるよ」と話しかけられました。
最近日本のオカミの管理能力がおかしいです。
4億円を経理担当者にまかせっきりの政治家。
何百億円も持っていれば、4億円など端数でしょうが、そんなことはないでしょう。あの細かい方が・・
「天下国家のこと」でお忙しいそうです。その割には地元の大震災の時にはあまりお見かけしませんでした。でも政局や権力闘争の時は必ず中心におられます。これが「天下国家のこと」ですね?
17年間も逃げ回っていた手配犯がせっかく出頭したのに、「他の交番に回ってくれ」
中国人犯罪者が脱獄しました。日本の刑務所はだれも脱獄できないというより、快適過ぎてだれも脱獄しない、とでも思っていたのでしょうか?
北朝鮮の難破漁船員を人道的見地から、よく調べもせず、すぐに帰国させました。
ボロ船にGPS積んでたのに・・いや積んでたからこそ・・
仲の悪い国ほど丁寧な対応です。数年前の田中真紀子外相の「正男氏即ご帰国」に似ています。
台湾の容疑者が確保されたパトカーの中で、自殺しました。それも署の前で・・
最初は「任意同行だから、法律的にボディチェックできない」などと杓子定規な言い訳をしてました。 2人惨殺した容疑者ですよ。犯罪者にそれほど優しい国など他にありません。
せっかく日本を好いてくれている台湾に失礼です。
最近由紀さおりさんが欧米で大ヒットだそうです。
だれがこのことを予想したでしょうか?!
団塊の世代の端っこにいる小生も嬉しいです。
予想はできなかったけど、昭和の歌謡曲はやっぱりいいです。
最近はなかなかいい曲に出会えません。
考えてみれば、例えば学校の音楽の授業で習った音階は、
ピアノで言えば、エボニー&アイボリーつまり黒鍵5個と白鍵7個の組み合わせです。
12個の音階の組み合わせですし、心地よいフレーズは限られて来ますから、そのうちネタ切れになるのではないでしょうか?
もちろんトロンボーンやバイオリン、三味線のようにフレットレスの音も出せる楽器はありますが、私ら一般人の耳にはビブラートを効かせているとしか聞こえないでしょう。
これも素人の発言で恐縮ですが、俳句も五七五の17文字、その上季語が限定されれば「これ どこかで見たぞ!?」といずれなって行くのではないでしょうか?
音階は私たちが知っているこの12平均律(実は純正律というのもありますが、私ら一般人の耳にはあまり分かりません)のスケールにも数多くパターンがあります。
例えばチャンチャカチャンの演歌はヨナ抜き(第4音のファと第7音のシが無い)のペンタトニック(7音階でなく5音階)ですから、もっと選択の幅が狭まり、どれも似たような曲調になります。
沖縄民謡、ハワイアン、ブルース(港町・・ではない)等の民族音楽も同じ感じになりますよね。
したがって今後良いメロディーの曲が出てくる可能性はとても少なくなって来るでしょう。ちょっといい曲でも「何かに似ている?」となるでしょう。仕方ありません。
もちろん我が国の近くのパクリ大国で「私が作りました!」という曲は「どこかで聴いたことがある気がする?」というより「そのまんまやんか!」ということが今後も多発すると思います。
いいメロディーは昭和までで出尽くしたのでしょうか?
私らの時代は、ポールアンカやニールセダカらのアメリカンスタンダード、シャンソンやカンツォーネ、ビートルズ、ボブディランらのフォーク、日本のグループサウンズ(懐かしい言葉)、吉田拓郎、井上陽水らのフォーク、天地真理(個人的には南沙織)から山口百恵、松田聖子に続くアイドルの流れ、がありました。
作曲家で言えば、いずみたく、筒美京平、三木たかし、加山雄三、桑田佳祐、荒井(松任谷)由実、小田和正とキリがありません。
私らは音楽的に恵まれた時代でした。
90年代半ばには、空前のヒットを連発したK氏がいましたね。
今は不遇のようですが、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
私は彼のどの曲も好きではないし、彼の曲で若い時代を過ごした人たちは音楽的に不幸だ、と勝手に思っていました。安っぽい具材(メロディー)を調味料(リズム)で誤魔化しているファストフードだ、とも思っていました。
でも今になってみると、聡明な彼は出尽くしたメロディーの中で、ありがちなフレーズをパクらず、どうやって斬新な曲を作るか悪戦苦闘したのではないか?とも思います。(あくまで素人の意見です)
由紀さおりさんはまだ声が出ていますね!
日本の他の往年の歌手やシンガーソングライターの方々も、昭和の歌を引っ提げてこれから世界に出て行くチャンスがあるかも知れません。期待しています。
ご挨拶が遅くなりましたが、今年も宜しくお願い致します。
とにかく昨年は大変な年でした。
しかし自然災害については分かりませんが、今年も世界や世の中の状況を見ると激動の年になるような気がします。
良い方向に向かうには、打破しなければならないことが沢山ありそうです。
良い志を持って、みんなで力を合わせて、体調を整え頑張りましょう!
今年もいよいよ押し詰まって来ました。
皆様も何かとお忙しいことと存じます。
弊院の予定は、
12月31日~1月3日 お休みとさせて頂きます。
宜しくお願い致します。
鈴木宗男元衆議院議員が1年ぶりに仮釈放で出て来ました。
本人や家族、友人たちは嬉しいでしょう。
私は鈴木宗男氏の政治信条についてとやかく言うつもりはありませんし、地元北海道やロシア、アフリカ外交に努力されたことは知っています。
しかし厳密に言えば未だ刑期を終えておらず、犯罪者です。
なのに何故「帰りを祝う会」として、国会議員である小沢一郎や鳩山由紀夫は迎えに行き、まるで英雄の凱旋のように歓待するのでしょうか?
鈴木氏本人は言いたいことは山ほどあるでしょうし、司法制度にも問題はあるでしょう。
しかし日本は法治国家です。
私たちはそれを尊重して暮らしているはずですが・・