4月29日昭和の日 バスツアー行きました。
豊後高田昭和の町と湯布院 2980円!!
昼食は付いてないけど格安でしょう!
家内と二人で、朝博多バスターミナルの集合場所に着いて待っていたら、隣にいたオッサンが携帯で怒鳴っています。よく聞くと、ここは降車口なのにバスツアーのバスが出発のために何台も停車しているのは迷惑だ、ということのようです。
電話を切ると、今度はそこにいたバス会社の若い女性従業員に大声で怒鳴り始めました。「だいたいおかしかろうが・・・!」
大勢のツアー客が遠巻きに見ています。
やれやれコイツ もしかして同じバスかなあ?
どのバスツアーも、最前列に一人で来ているオッサンかオバサンが必ずいて、一日中添乗員さんを独り占めしようとします。そういうヤツかなあ?それにしても怒りと声が大き過ぎます。
クレームが長いし、ガタイがいいオッサンの顔が紅潮して来ました。怒りがレベルアップして来ました。
私は女性従業員に近づき「万が一この人が手を上げたら割って入りますから、心配しないで下さい。」とオッサンにわざと聞こえるように言いました。
混んでいたトイレから戻って来た家内は、私のスクランブル態勢にすぐ気付き「参加せんのよ!」と怒られました。幸いなことにオッサンはいなくなり、同じバスにも乗りませんでした。
バスが動き始めたら、前の座席の若い女の子がいきなり座席をフルに倒して来ました。狭い座席のため彼女の後頭部がすぐ目の前です。
私は後ろを振り向き「座席を少し倒してもいいですか?」と言い終わらないうちに「あんたね!ここがどれだけ狭いか分かっとーと?こっちに来て見なさいよ!」と70歳代のオバチャンにバス中に響き渡る声で怒鳴られました。
オバチャン相手だと全く戦闘意欲は湧かないので、すごすごと無言で背もたれを戻しました。
(2980円だろ! 狭いのはお互い様だろ。仲良くやろうよ・・)
湯布院に着きました。もう昔のイメージはありません。お店がいっぱいです。
聞こえて来る言葉は中国語とハングルが多いです。
丁度昼ご飯の頃になりました。
蕎麦屋さんで天ざるを注文しました。しいたけの天ぷらを口に入れたら厭な味がしました。
大勢お客さんがいたので、そっとトイレに行き吐き出しました。
今日はもう揉めたくないので、お店にはすぐには伝えず、レジでお金を払った後、店員さんにそっと言いました。
その後は豊後高田昭和の町です。
10年くらい前は結構注目されましたが、今は本当に昭和らしくなっていました。
それでもゴールデンウィークに入ったばかりなので、かなり観光客はいました。
駄菓子ばかり買いました。
夕方無事に博多駅に着きました。
いつも行く福岡では有名な中華料理のチェーン店です。ここの味は大好きです。
案内された席に着くと、テーブルが臭いです。とても混んでいるせいか、フキンをきちんと洗ってないのでしょう。係の人に言って席を移りました。
しばらくして注文したセットが来ましたが、今度は私と家内の料理のトレイが両方とも臭います。
もう言う元気が無いので、トレイを外して食べました。
ふと気付くとさっきから、隣の席のオッサンがじっとこちらを見ています。
ご夫婦のようでしたが、オッサンは大きな態度で座りやたらと咳をして、辺りを睥睨してました。
それが私の方に意識を集中して来ました。
耐え兼ねた私は、素早く彼を見返すと、運動神経が衰えているのか、彼はすぐに目を逸らせません。数秒間私と見詰め合ったままです。そして気まずそうな表情で不自然に反対側に首を捻ったまま、固まりました。
家内が言うには、オッサンの注文した料理が遅く不満かつ退屈してた。私の注文したセットメニューが自分のより美味しそうに見えた。博多駅にあまり来ている風でなく、何でも珍しかった。ということらしいです。
久々のバスツアーでしたが、世の中はとにかく価格が安くなければならず、人手は最小限で忙しく、そのため仕事はぞんざいで、いつもイラつき、他人への配慮は薄くなっていると思いました。
私自身はだんだん歳を取って来て、他人との接触が面倒臭くなり、ストレスに対する耐性が無くなって来ている様な気がしました。
安いバスツアーだったので(安いからこそ)、色々面白いモノを見ました。大きな事故とかも無かったし・・又行きますよ。
でも「昭和の日」に「昭和の町」に行きましたが、あの頃の「昭和」が懐かしくなった・・と言えば上手くまとめ過ぎですね。
やっとこの季節らしくなって来ました。
ゴールデンウィーク中の予定は以下の通りです。
4/29(日・昭和の日) お休み
4/30(月・振替休日) 営業
5/ 1(火) 営業
5/ 2(水) 営業
5/ 3(木・憲法記念日) 営業
5/ 4(金・みどりの日) 営業
5/ 5(土・こどもの日) お休み
5/ 6(日) お休み
よろしくお願い致します。
東日本大震災の後、桑田佳祐さんの名曲(全てそうですが・・)の一つである「TSUNAMI」をマスメディアで聴くことはありません。
昨年の震災と、曲の内容は全く関係がありませんが、時節柄仕方の無いことかも知れません。
先月10日のラジオ番組で彼は「この曲が復興の象徴として、いつか歌える日が来れば・・」と言っていました。私もそう思います。しばらくは難しいかも知れませんが・・
作曲家に限らず、芸術家には「旬」が必ずあります。
そういう時って、考えなくても天から何かが降りて来るんでしょうね。
羨ましい気がしますが、いずれそうでない時が必ず来るので、つらいことも多いでしょう。
それにしても桑田さんは何十年経っても降りて来る方のようです。
この曲の出だしは「ソドレミファソ」と上がって行きますが、この出だしのヒット曲はとても多いです。例えば藤井フミヤさんの「TRUE LOVE」もそうです。
歌詞の出だしで言うと「WHEN I WAS YOUNG・・」ですね。今思い付くのは、カーペンターズの「YESTERDAY ONCE MORE」がそうです。
いつか「TSUNAMI」が普通に歌える日が来ると良いのですが・・