音読み訓読み
小学校の卒業式で証書をもらう時、校長からニシダヒデハル君と呼ばれた。気分が悪かった。私はニシダエイジである。
小学校で漢字には音読みと訓読みがあると教わったが、意味が分からなかった。漢読み大和読みとでもしてほしい。
後年中国に出張した時には北京語発音でシーティエンインジーと呼ばれた。当然全て音読み風だ。英国の英はイングランドのインだ。
福岡の筑豊地方のJRの駅名は何故か音読みが多い。天道はテントウ、筑前大分はちくぜんダイブ、桂川はなんとカツラガワでなくケイセンだ。
まあこの近辺で一番難しいのは山口県の山陰本線の特牛コットイだ。音読みでも訓読みでもない。たしか語源はコッテウシらしい。
最近の子供の名前も音読みでも訓読みでもないモノが多い。
ちなみに山口出身の大臣は何故かハヤシではなく最近リンと呼ばれる。
8月15日
今日8月15日は終(敗)戦記念日だ。
テレビでは相変わらず「戦争は絶対やってはならない」との神妙な言葉が流れている。もちろん正しい。 これを言えば平和を希求している気分になるのだろう。情緒に流れ思考停止してないか?
日本人は有事の際に国のために戦おうという人の割合が先進国の中で最低だそうな。そんな国が他国を侵略する意志があるのだろうか?
戦争は「戦争反対!」といくら訴えても、台風や地震のように向こうからやって来る。日本は国力が落ちて来てるが、まだまだ豊かな美味しい国だ。欲しくなるわな!
「反対」ではなく「用心と準備」が大切だ。もちろんそれには外交努力が含まれるが、残念ながら外交の破綻が戦争だ。
また原爆の悲惨さをいくら唱えても、結果的にその威力を宣伝していることにならないか?欲しくなるわな!
先の大戦も我が国に責任があるとの意見をよく聞くが、戦争は双方が正しい(と思う)から起きる。
最も大切なのは歴史を冷徹に学ぶことではないか?