その通りだと思います。それで「台湾」について書きたくなりました。
実は、外国の中で台湾は、私にとって一番好きな国です(日本は中国との関係上「国」として認めていませんが・・)。
1972年電撃的なニクソン・毛沢東の米中会談にあわてた田中角栄首相は、その年のうちに「日中国交正常化」を果たしました。これはこれで歴史的な大英断でした。
それによって日本と台湾との関係は、公的には断絶となりました。この時台湾は日本の立場を理解して、恨み言一つ言いませんでした。
その後日本は中国との関係に夢中になり、それに反比例して台湾に対するマスコミや人々の関心が薄くなって行きました。当然学校でもまともに現代史を教えません。
それから約10年後、日本人のほとんどが台湾のことを忘れた頃、今は廃刊になっていますが、「マルコポーロ」という雑誌が台湾特集を組みました。その内容に私は仰天しました。
正確には覚えていませんが、台湾人へのアンケート「日本が好きですか?」という質問にイエスが79%でした。
イギリス人評論家のコメントに「植民地国がかつての宗主国に好意を持っているケースは、世界に類を見ない」と。植民地経営の天才であるイギリス人が言うのだから間違い無いでしょう。
植民地支配された国が心の底から旧宗主国に好意を持つということが、本当に有り得るでしょうか?
日本が同じような植民地政策を取った東アジアの諸国は日本のことが、世界中で一番嫌いです。むしろそれが当たり前です。
台湾だってそういう意味では、日本のことは好きではないでしょう。それではその真の理由は何なのか? そこに台湾のつらい歴史があります。
結論を先に述べましょう。
台湾の抑圧され続けた歴史の中で、他の支配者より日本の方がまだマシだった、ということだと思います。
その理由を説明して行きましょう。
台湾は九州と同じ位の国土を有し、人口は2300万人。
人口のうち本省人(もともとの台湾人)が85%
外省人(中国本土での国共内戦で、毛沢東率いる共産党軍に敗れた、蒋介石の国民党軍と共に移住して来た中国人)が13%
この外省人が台湾の政治経済をはじめ国の権力を掌握して来ました。
話は遡りますが、
1700年代前半、近松門左衛門の浄瑠璃と歌舞伎で「国性爺合戦」(こくせんやかっせん)が大ヒットしました。
この物語の主人公のモデルは、台湾の英雄「国姓爺 鄭成功」です。近松が「性」としたのは、物語が史実とかなり違うことと、当時は「姓」と「性」は同じ意味だったかららしいです。
「国姓爺」とは中国の「明」のために活躍した「鄭成功」が皇帝から明国の「姓」を貰ったという意味です。「爺」は老人という意味ではなく、旦那とか大人のことらしいです。
1662年「鄭成功」は台湾を植民地化していたオランダと戦って追い出しました。
「鄭成功」の父親は台湾の対岸の福建人ですが、母親マツは平戸の田川氏の娘でした。つまり「鄭成功」は日台のハーフです。したがって両国に人気がありました。 (つづく)