博多メイはりきゅう院
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昔は良かった!?

先週の土曜日に上京して、母校の創部50周年記念式典に出席しました。

我が部は昨年度の全日本学生大会総合優勝、今年度の関東学生大会総合優勝と創部以来何度目かの全盛期を迎え、OB・OG・現役とも気合が入っていて350名も集まりました。

40年ぶりに再会した仲間もいて、感慨一入でした。そして色々なことが頭の中に浮かびました。

今になってみれば「若い頃は良かったなあ!」と言う方は多いと思いますが、誰しも青春真っ只中の時は「なんでこんなに苦しいんだろう?」と思っていた人の方が多いのではないでしょうか?

激しかったけど、ユルかった、という不思議な時代でした。
そして私ら「団塊の世代」(私は終わり頃ですが)が日本をこんなにしてしまったのではないか?という感情も拭い切れません。

自慢話を含めて振り返ります。
私は1971年に大学入学しましたが、時代はまだ70年安保の余韻が燻ぶり、学内はいつも騒然としていて、大学4年間の試験も前期後期と卒業試験の計8回のうち、7回はレポート提出で、まともに試験があったのは最後の卒業試験だけでした。

当然勉強などまともにした記憶はなく、これでいいのかなあ?と思いながら、部室だけに通う毎日でした。

その頃も我が部は全盛期でした。1972年に全日本学生大会団体乱捕で優勝しました。私はまだ2年生でしたし、補欠にさえ選ばれるようなレベルでもありませんでした。

各校5名づつで試合をします。体重制限など無く、グローブ着用でノックアウトで1本というルールです。
日本武道館での、各地区を勝ち抜いて来た140校のワンデートーナメントです。

優勝まで1日に7試合です。道衣は血だらけ、顎関節は噛み合いません。救急車も来ます。
もちろん今はそんな試合形式などありません。実は次の年に事故が多発し、それ以降中止になりました。
私も在学中に何度か骨折し、重篤な怪我を負った仲間もいましたが、みんな今も元気です。

話は遡ります。
高校時代は山岳部に所属してました。
ある時ロッククライミングに行くことになりました。その部は高校なのにロッククライミングもやるというのが「ウリ」でした。引率は顧問の先生一人だけです。

阿蘇高岳の「鷲ケ峰」という「九州の谷川岳」とも呼ばれる名所です。見上げると百メートルを超える絶壁です。しばしば死亡事故があります。岩壁には死者を弔うレリーフがあります。
私は恐怖で腰を抜かしながらも何とか登りましたが、その後ロッククライミングに行くことはありませんでした。

もっと遡ります。
中学時代の夏休みは毎年クラス全員で海水浴に行きました。
「団塊の世代」の名残りで、中学は1学年16組あり、1組は50名を超えていました。
引率は担任の先生一人で、保護者(当時は父兄と・)の付き添いなどありません。

海水浴場は砂浜ではなく岩場でした。スピーカーから流れて来る曲はサザンでもチューブでもなく「加山雄三」です。時々「黛じゅん」が混じります。

高校の顧問も中学の担任も、温厚でおとなしい先生でした。
幸運にも大した事故は起きなかったし、多少のことがあっても保護者が口を出すことはありませんでした。まして訴訟など・・

実際 当時の先生方はどう思っていたのでしょうか?腹を括っていたのでしょうか?
私にはそんな勇気はありません。

話は変わりますが、
スカイツリーは凄かったです!でも予約は無く、昇れませんでした。高い所が怖かった訳ではありません。