そろそろ花粉症のシーズンが近づいて来ました。
だれでも何かしらのアレルギーを持っています。
鼻炎、アトピー、喘息、金属、食物、医薬品等々・・
アレルギーは無害な異物(抗原)を間違って攻撃してしまう免疫機能の異常です。
似たような病気に「自己免疫疾患」があります。
慢性関節リウマチ、全身性エリテマトーデスなどの膠原病があります。
これは間違って自分自身を抗原と認識して攻撃してしまう原因不明の厄介な病気です。
アレルギーはあまりにも清潔な環境で育ったり、あまりにもゆったりしている(副交感神経亢進)と発症しやすい、と言われています。
また若くて元気が有り余ってると出やすいです。来月還暦を迎える私は、ここ数年花粉症が気になりません。歳取って来たのと、日々の生活に汲汲としてるから・・
おっと ここでは「花粉症の鍼が効いている!」と言わなければ・・
最近「軍」について語ることが多いので、それに例えると、
「アレルギー」は「誤爆」、「自己免疫疾患」は「同士討ち」か「クーデター」でしょうか?
良い環境がその原因と言うのも興味深いです。
話は変わりますが、
アルジェリアの事件が起こる前は、部活の体罰が注目されていました。
誰しもが思っていると思いますが、誤解を恐れず言いますと、私が親だったら「そんなクラブはどうせ大したモノではないので、辞めてしまえ!」です。
高校生はまだ人生経験がほとんど無いので、目の前の部活に一所懸命になるのは当たり前ですし、良いことだと思います。
異常な体罰を加える監督は、個人的に何か問題を抱えているか、成績を上げることでそのスポーツ界での自分のキャリアUPに執着しているからでしょう。いずれにしろ生徒のためではありません。戦う相手は生徒ではないでしょう。自分のウサ晴らしか、我欲です。その上の上司の管理監督こそ問題があります。
高校野球の名監督の「たかが野球、されど野球」という名言があります。素晴らしい言葉だと思います。しかし時々逆に言ってみると良いと思います。「されどバスケット、たかがバスケット」
前回のブログで述べましたが、日本人は宗教には「のめり込むこと」をあまり良しとしないのに、スポーツとなると何故「極め」たがるのでしょう?
以前のブログで述べましたが、スポーツ(SPORT)の語源は、SPは飛び出す、離れる、PORTは港、つまり「港から離れる」「日常から離れ、気分転換する」という意味だそうです。
SPRING SPLASH、SPRAY、SPRINKLER、SPARK、SPIT、SPLITとキリがありません。
つまり「道楽」です。
少林寺拳法の開祖 宗道臣は我々弟子たちに「一所懸命稽古するよう」常々言われていましたが、一定のレベルに達し調子に乗って来ると「そんなに強くなってどうするんだ?」と問いかけられました。少林寺拳法は禅宗ですので、これはもう「禅問答」ですね。
その娘であられる総裁は20年程前、「鍛えた拳はどこへ行く」と問題提起されました。色々な受け止め方をする人がいると思いますが、蓋し名言です。
(余計な話ですが、少林寺拳法では、拳で堅いモノを突いて鍛えることはありません)
本当に強いチームは体罰やシゴキはありません。
ある元総理大臣は若い頃ある大学の名門運動部(ここ数年あまり芳しくありませんが)に入りましたが、厳しい練習について行けず退部しました。2軍どころか4軍5軍まであると言われています。
このような組織では、自分が失敗しようが怪我しようが、誰も責めません。「ゆっくり休んで、しっかり治せよ」とまわりから優しい言葉を掛けられます。そして後輩が喜んで上がって来ます。
この方がつらいです。大手企業など優秀な組織ほどそうです。自分が壊れなくても家族や子供が壊れます。その後彼は「サメの脳みそ」と言われながら総理大臣まで昇りつめました。国民にとっては、彼には一流プレーヤーになってもらった方が良かったのですが・・
「中道」とか「中庸」という言葉があります。
腰が定まらず不安定な感じですが、なかなか良いと思います。
博多弁で言うと「イイッチャナイト?」ってやつでしょうか?