先月最も人気のあるスマホ会社が新機種を発表した。
残念ながらこれまでSEと呼ばれていた最小機種の新型はもう製造されない。
これの意味することは、スマホはこれでもう完全に携帯電話ではなく移動できるコンパクトな総合情報機器だということだろう。
もうポケットに入れることはなくバッグか手持ちになる。
それでますます雑踏で手持ちで見ながら歩くヤツが増える。
まわりへの配慮はなく、特段急いで見なければならない情報ではないのに(ラインかさっき友達がUPした昼飯のインスタだろう)・・・
歩きスマホをしているヤツの意識はスマホに向かっているのに、まわりはソイツの動向に配慮している。
交差点で一人でゆったり信号を渡りながら、歩きスマホをしているヤツを5~6台の車が止まって待っている。ソイツにまわりへの配慮はない。
まるで日本国憲法の前文だ。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
つまりまわりの善意に寄り掛かるつもりだ。しかしまわりの諸外国が善意の人々ばかりでないことは、まともな大人なら、とっくに知っている。
実は恥ずかしながら、スマホについてノーガキを垂れている私はガラケーしか持ったことがない。
ラインする友達はいないし、他人が喰った昼飯に興味はない。
仕事の予約を電話かメールで受ける私にとってガラケーは生命線だ。
「故障したら宅配便で送って下さい。、でも1週間はかかります」とか言う格安スマホや、福岡なら「天神まで来て下さい」と言う「りんご専門店」に付き合ってられない。
ITやAIがこれだけ進んだ現代なのに、まるで徳川幕府に忠誠を誓わせる江戸時代の参勤交代みたいだ。
今回は文句タラタラでした。