先週の土曜日に上京して、母校の創部50周年記念式典に出席しました。
我が部は昨年度の全日本学生大会総合優勝、今年度の関東学生大会総合優勝と創部以来何度目かの全盛期を迎え、OB・OG・現役とも気合が入っていて350名も集まりました。
40年ぶりに再会した仲間もいて、感慨一入でした。そして色々なことが頭の中に浮かびました。
今になってみれば「若い頃は良かったなあ!」と言う方は多いと思いますが、誰しも青春真っ只中の時は「なんでこんなに苦しいんだろう?」と思っていた人の方が多いのではないでしょうか?
激しかったけど、ユルかった、という不思議な時代でした。
そして私ら「団塊の世代」(私は終わり頃ですが)が日本をこんなにしてしまったのではないか?という感情も拭い切れません。
自慢話を含めて振り返ります。
私は1971年に大学入学しましたが、時代はまだ70年安保の余韻が燻ぶり、学内はいつも騒然としていて、大学4年間の試験も前期後期と卒業試験の計8回のうち、7回はレポート提出で、まともに試験があったのは最後の卒業試験だけでした。
当然勉強などまともにした記憶はなく、これでいいのかなあ?と思いながら、部室だけに通う毎日でした。
その頃も我が部は全盛期でした。1972年に全日本学生大会団体乱捕で優勝しました。私はまだ2年生でしたし、補欠にさえ選ばれるようなレベルでもありませんでした。
各校5名づつで試合をします。体重制限など無く、グローブ着用でノックアウトで1本というルールです。
日本武道館での、各地区を勝ち抜いて来た140校のワンデートーナメントです。
優勝まで1日に7試合です。道衣は血だらけ、顎関節は噛み合いません。救急車も来ます。
もちろん今はそんな試合形式などありません。実は次の年に事故が多発し、それ以降中止になりました。
私も在学中に何度か骨折し、重篤な怪我を負った仲間もいましたが、みんな今も元気です。
話は遡ります。
高校時代は山岳部に所属してました。
ある時ロッククライミングに行くことになりました。その部は高校なのにロッククライミングもやるというのが「ウリ」でした。引率は顧問の先生一人だけです。
阿蘇高岳の「鷲ケ峰」という「九州の谷川岳」とも呼ばれる名所です。見上げると百メートルを超える絶壁です。しばしば死亡事故があります。岩壁には死者を弔うレリーフがあります。
私は恐怖で腰を抜かしながらも何とか登りましたが、その後ロッククライミングに行くことはありませんでした。
もっと遡ります。
中学時代の夏休みは毎年クラス全員で海水浴に行きました。
「団塊の世代」の名残りで、中学は1学年16組あり、1組は50名を超えていました。
引率は担任の先生一人で、保護者(当時は父兄と・)の付き添いなどありません。
海水浴場は砂浜ではなく岩場でした。スピーカーから流れて来る曲はサザンでもチューブでもなく「加山雄三」です。時々「黛じゅん」が混じります。
高校の顧問も中学の担任も、温厚でおとなしい先生でした。
幸運にも大した事故は起きなかったし、多少のことがあっても保護者が口を出すことはありませんでした。まして訴訟など・・
実際 当時の先生方はどう思っていたのでしょうか?腹を括っていたのでしょうか?
私にはそんな勇気はありません。
話は変わりますが、
スカイツリーは凄かったです!でも予約は無く、昇れませんでした。高い所が怖かった訳ではありません。
バイオリンの名器ストラディバりウスは17世紀後半から18世紀前半にかけてイタリアのアントニオ・ストラディバリが製作したものです。生涯約1100本作ったと言われてますが、現存しているのは約650本です。
昨年日本のある財団がイギリスのオークションにその1本を出品しましたが、これまでの最高額約12億7千万円で落札されました。
バイオリンは全く同じ形をしたものが10万円から約10億円まで、その価格は1万倍の開きがあります。
毎年お正月に一流芸能人を決めるテレビ番組がありますが、必ずバイオリンの音色を聴いて一流品を判定する場面があります。が、なかなか当たりません。
実際に専門家たちが同じような審査を、数10万円から数億円のもので、何度か判定をしているようですが、なかなか当たらないみたいです。
アコースティックギターは全く同じ形をしたものが、新品なら大体1万円から100万円で、100倍の開きです。
ギターの音色は価格に比例すると言われます。
私もたまに楽器店でひやかしで試奏させてもらいますが、10万円を超えるとそれなりの音がする、と私でも少しだけ感じます。
コーヒーの味に似ています。
見た目は区別の付かない粉ですが、飲んでみると分かります。
良いものは、「アロマの香り」と言うのでしょうか?僅かに馥郁とした深い香りと味が楽しめます。
人間に当てはめるのはどうかと思いますが、
年収5百万円の人だと普通です。5億円の人でもたまにいます。100倍の差です。
ではIQが100倍違うのかと言えば、そうではありません。
この差は何なんでしょう!ちょっとした差です。
商売やビジネスをしている人たちはこの差を追い求めています。
マーケティングなのか?イノベーションなのか?その両方か?それ以外か?
私も分かっていれば、今頃大金持ちのはずです。
顔の美容鍼は、ただ顔に極細の鍼を数十本刺すだけです。ほとんど痛みも感じません。
お化粧を取る必要もありません。30分で終わります。
施術前と施術後の写真を撮っても、その差異はまず現れないと思います。
効果は僅かかも知れません。
しかし大半の女性はその僅かな違いに気付きます。毎日鏡を見ているからです。
でもその差が嬉しいとは思いませんか?!
福岡市役所では職員の飲酒による事件があまりに多発するので、これから1か月間自宅以外での飲酒を禁止するそうです。
役所近辺の飲み屋さんは死活問題でしょうし、自宅に毎日早く帰って飲酒すれば、今度は家庭内が心配です。
要は公務員のカネと時間が余り過ぎているからではないですか?
対応は以前に比べればかなり良くなりましたが、某区役所に行くと、今だにスーツにサンダルを履いている男性職員がいます。
デパートの社員や銀行員がサンダル履きでフロアをウロウロすることはありません。お客様に接しているからです。市民はお客様ではないのでしょうね? 給与を大手企業並みにするなら、服装プロトコルもそれに準じたらどうかと思います。
話は変わりますが、
先日のニュースで、東京のデパートの初夏に向けてのターゲットが、40歳前後の独身男性だと聞いて驚きました。対象人口が多いのと、お金を持っているから、とのことです。
ここ博多の街は逆に、この年代の独身女性だらけです。そしてみんな美しいです!
このテーマでブログを書くと、私は大勢の患者様を失う危険性があります。
しかし日本の少子化対策のため、敢えて述べましょう! 残り時間が限られて来ましたから・・
最近弊院でも顔美容鍼のために女性が来られるようになり、昭和40年代後半生まれの方々のお話をお聞きすることが多くなりました。
「博多には オトコがいない!」
婚活パーティに行くと、いつも同じ男どもが来ている。その方々には興味は無い。
たまに「これは!」と思ったら、サクラか?
合コンに行くと、男どもの半分は既婚者だったりする。
福岡市は全国の政令指定都市の中で、結婚適齢期(?)の男女人口比に最も差があるらしいです。
私も、福岡市は全国でも最も住みやすい街、と自負しています。
女性は美しく洗練され、親は教育にも熱心ですが、県外にはなるべく出したがりません。女性の仕事は贅沢言わなければ、何とかなりますし、この街でほとんどのことが完結します。
但し大きな工業地帯などは無く、男の職場は不足気味です。
私ら以前の男どもは、意識するしないにかかわらず「九州男児」として育てられました。
「国」を想い、何よりリーダーシップを求められました(結果は問わないで下さい)。
根拠の無い自信に溢れ、すぐ大言壮語します。
「世界中を敵に回しても、俺は君を守る!」なんて言葉が大好きでした。
九州の女性は賢明なので、世界中を敵に回すバカなんぞに惚れるはずはありませんが、オクビにも出しません。
尤もそのくらいでなければ、西から明治維新など起きなかったかも知れませんが・・
もしかしたら私ら「九州男児」が威張れたのは、昔から女に比べ男が少なかったからなのかな?と思います。昔は「いくさ」で男は減りましたからね。
ヨーロッパよりアメリカの方が「レディファースト」だと感じます。
西部劇など観ると、危険な新天地には女性が極端に少ないです。酒場の女と大牧場主の令嬢しか出て来ません。タイプは違うけどどちらも魅力的です。荒くれ者のカウボーイ達も紳士になります。
九州の女性たちも「博多」に留まらず、より大都市を目指してはどうでしょう?
親御さんたちも「東京は危なかよ!」などと言わずに・・
少なくとも福岡より拳銃発砲事件は少ないです。
私見ですが、例えば東京育ちの男たちは「九州男児」に比べると、大勢の人の中でメンバーシップ、フォロワーシップをより身に着けていると思います。当然数少ない女性たちに細かい気遣いをします。言葉も寅さんやたけしさんの下町言葉だけでなく、女言葉のように聞こえる山の手言葉の優しい響きに、九州肉食女子も絆される可能性大です(しかしあせってはいけません。男の数は有り余る程です)。
誤解を恐れずに言いますが、東日本でこれだけ色々なことがあるなら、大手企業は本社機能をもう少し「博多」辺りに移転して頂けないでしょうか?それもエグゼクティブの単身赴任でなく(楽しいでしょうが・・)、幅広い年齢層の独身男性を・・
日本の人口減少に憂う毎日です。
4月29日昭和の日 バスツアー行きました。
豊後高田昭和の町と湯布院 2980円!!
昼食は付いてないけど格安でしょう!
家内と二人で、朝博多バスターミナルの集合場所に着いて待っていたら、隣にいたオッサンが携帯で怒鳴っています。よく聞くと、ここは降車口なのにバスツアーのバスが出発のために何台も停車しているのは迷惑だ、ということのようです。
電話を切ると、今度はそこにいたバス会社の若い女性従業員に大声で怒鳴り始めました。「だいたいおかしかろうが・・・!」
大勢のツアー客が遠巻きに見ています。
やれやれコイツ もしかして同じバスかなあ?
どのバスツアーも、最前列に一人で来ているオッサンかオバサンが必ずいて、一日中添乗員さんを独り占めしようとします。そういうヤツかなあ?それにしても怒りと声が大き過ぎます。
クレームが長いし、ガタイがいいオッサンの顔が紅潮して来ました。怒りがレベルアップして来ました。
私は女性従業員に近づき「万が一この人が手を上げたら割って入りますから、心配しないで下さい。」とオッサンにわざと聞こえるように言いました。
混んでいたトイレから戻って来た家内は、私のスクランブル態勢にすぐ気付き「参加せんのよ!」と怒られました。幸いなことにオッサンはいなくなり、同じバスにも乗りませんでした。
バスが動き始めたら、前の座席の若い女の子がいきなり座席をフルに倒して来ました。狭い座席のため彼女の後頭部がすぐ目の前です。
私は後ろを振り向き「座席を少し倒してもいいですか?」と言い終わらないうちに「あんたね!ここがどれだけ狭いか分かっとーと?こっちに来て見なさいよ!」と70歳代のオバチャンにバス中に響き渡る声で怒鳴られました。
オバチャン相手だと全く戦闘意欲は湧かないので、すごすごと無言で背もたれを戻しました。
(2980円だろ! 狭いのはお互い様だろ。仲良くやろうよ・・)
湯布院に着きました。もう昔のイメージはありません。お店がいっぱいです。
聞こえて来る言葉は中国語とハングルが多いです。
丁度昼ご飯の頃になりました。
蕎麦屋さんで天ざるを注文しました。しいたけの天ぷらを口に入れたら厭な味がしました。
大勢お客さんがいたので、そっとトイレに行き吐き出しました。
今日はもう揉めたくないので、お店にはすぐには伝えず、レジでお金を払った後、店員さんにそっと言いました。
その後は豊後高田昭和の町です。
10年くらい前は結構注目されましたが、今は本当に昭和らしくなっていました。
それでもゴールデンウィークに入ったばかりなので、かなり観光客はいました。
駄菓子ばかり買いました。
夕方無事に博多駅に着きました。
いつも行く福岡では有名な中華料理のチェーン店です。ここの味は大好きです。
案内された席に着くと、テーブルが臭いです。とても混んでいるせいか、フキンをきちんと洗ってないのでしょう。係の人に言って席を移りました。
しばらくして注文したセットが来ましたが、今度は私と家内の料理のトレイが両方とも臭います。
もう言う元気が無いので、トレイを外して食べました。
ふと気付くとさっきから、隣の席のオッサンがじっとこちらを見ています。
ご夫婦のようでしたが、オッサンは大きな態度で座りやたらと咳をして、辺りを睥睨してました。
それが私の方に意識を集中して来ました。
耐え兼ねた私は、素早く彼を見返すと、運動神経が衰えているのか、彼はすぐに目を逸らせません。数秒間私と見詰め合ったままです。そして気まずそうな表情で不自然に反対側に首を捻ったまま、固まりました。
家内が言うには、オッサンの注文した料理が遅く不満かつ退屈してた。私の注文したセットメニューが自分のより美味しそうに見えた。博多駅にあまり来ている風でなく、何でも珍しかった。ということらしいです。
久々のバスツアーでしたが、世の中はとにかく価格が安くなければならず、人手は最小限で忙しく、そのため仕事はぞんざいで、いつもイラつき、他人への配慮は薄くなっていると思いました。
私自身はだんだん歳を取って来て、他人との接触が面倒臭くなり、ストレスに対する耐性が無くなって来ている様な気がしました。
安いバスツアーだったので(安いからこそ)、色々面白いモノを見ました。大きな事故とかも無かったし・・又行きますよ。
でも「昭和の日」に「昭和の町」に行きましたが、あの頃の「昭和」が懐かしくなった・・と言えば上手くまとめ過ぎですね。
やっとこの季節らしくなって来ました。
ゴールデンウィーク中の予定は以下の通りです。
4/29(日・昭和の日) お休み
4/30(月・振替休日) 営業
5/ 1(火) 営業
5/ 2(水) 営業
5/ 3(木・憲法記念日) 営業
5/ 4(金・みどりの日) 営業
5/ 5(土・こどもの日) お休み
5/ 6(日) お休み
よろしくお願い致します。
東日本大震災の後、桑田佳祐さんの名曲(全てそうですが・・)の一つである「TSUNAMI」をマスメディアで聴くことはありません。
昨年の震災と、曲の内容は全く関係がありませんが、時節柄仕方の無いことかも知れません。
先月10日のラジオ番組で彼は「この曲が復興の象徴として、いつか歌える日が来れば・・」と言っていました。私もそう思います。しばらくは難しいかも知れませんが・・
作曲家に限らず、芸術家には「旬」が必ずあります。
そういう時って、考えなくても天から何かが降りて来るんでしょうね。
羨ましい気がしますが、いずれそうでない時が必ず来るので、つらいことも多いでしょう。
それにしても桑田さんは何十年経っても降りて来る方のようです。
この曲の出だしは「ソドレミファソ」と上がって行きますが、この出だしのヒット曲はとても多いです。例えば藤井フミヤさんの「TRUE LOVE」もそうです。
歌詞の出だしで言うと「WHEN I WAS YOUNG・・」ですね。今思い付くのは、カーペンターズの「YESTERDAY ONCE MORE」がそうです。
いつか「TSUNAMI」が普通に歌える日が来ると良いのですが・・
Panasonicのドアモニ買いました。
これはいいですね!
玄関ドアの上にカメラを装着して、室内でモニターを見ることができます。
マンションならほとんどのドアに10秒で装着できます。
ドアの上部に引っ掛けて止めるだけなので、工事の必要は全くありません。
カメラからはコードレスで、携帯くらいの大きさのモニターで、室内のどこでもカラーで鮮明に見ることができます。
わざわざドアミラーホールを覗きに行く面倒はなくなります。
着脱が簡単なので、賃貸マンションを引越ししても、すぐ装着できます。
約1万5千円です。
もう1万円出すと、通話機能と録画機能が付いた上位機種が買えます。
ドア上部のカメラは目立ちませんが、防犯にも役立ちます。
その通りだと思います。それで「台湾」について書きたくなりました。
実は、外国の中で台湾は、私にとって一番好きな国です(日本は中国との関係上「国」として認めていませんが・・)。
1972年電撃的なニクソン・毛沢東の米中会談にあわてた田中角栄首相は、その年のうちに「日中国交正常化」を果たしました。これはこれで歴史的な大英断でした。
それによって日本と台湾との関係は、公的には断絶となりました。この時台湾は日本の立場を理解して、恨み言一つ言いませんでした。
その後日本は中国との関係に夢中になり、それに反比例して台湾に対するマスコミや人々の関心が薄くなって行きました。当然学校でもまともに現代史を教えません。
それから約10年後、日本人のほとんどが台湾のことを忘れた頃、今は廃刊になっていますが、「マルコポーロ」という雑誌が台湾特集を組みました。その内容に私は仰天しました。
正確には覚えていませんが、台湾人へのアンケート「日本が好きですか?」という質問にイエスが79%でした。
イギリス人評論家のコメントに「植民地国がかつての宗主国に好意を持っているケースは、世界に類を見ない」と。植民地経営の天才であるイギリス人が言うのだから間違い無いでしょう。
植民地支配された国が心の底から旧宗主国に好意を持つということが、本当に有り得るでしょうか?
日本が同じような植民地政策を取った東アジアの諸国は日本のことが、世界中で一番嫌いです。むしろそれが当たり前です。
台湾だってそういう意味では、日本のことは好きではないでしょう。それではその真の理由は何なのか? そこに台湾のつらい歴史があります。
結論を先に述べましょう。
台湾の抑圧され続けた歴史の中で、他の支配者より日本の方がまだマシだった、ということだと思います。
その理由を説明して行きましょう。
台湾は九州と同じ位の国土を有し、人口は2300万人。
人口のうち本省人(もともとの台湾人)が85%
外省人(中国本土での国共内戦で、毛沢東率いる共産党軍に敗れた、蒋介石の国民党軍と共に移住して来た中国人)が13%
この外省人が台湾の政治経済をはじめ国の権力を掌握して来ました。
話は遡りますが、
1700年代前半、近松門左衛門の浄瑠璃と歌舞伎で「国性爺合戦」(こくせんやかっせん)が大ヒットしました。
この物語の主人公のモデルは、台湾の英雄「国姓爺 鄭成功」です。近松が「性」としたのは、物語が史実とかなり違うことと、当時は「姓」と「性」は同じ意味だったかららしいです。
「国姓爺」とは中国の「明」のために活躍した「鄭成功」が皇帝から明国の「姓」を貰ったという意味です。「爺」は老人という意味ではなく、旦那とか大人のことらしいです。
1662年「鄭成功」は台湾を植民地化していたオランダと戦って追い出しました。
「鄭成功」の父親は台湾の対岸の福建人ですが、母親マツは平戸の田川氏の娘でした。つまり「鄭成功」は日台のハーフです。したがって両国に人気がありました。 (つづく)
昨日3月11日は東日本大震災から丁度1年目でした。我が身の健康など省みもされない天皇陛下の御意志や、東北の人々の災害に屈しない心意気、未だ癒えぬ様々なダメージと、予想以上に回復している所など様々な報道がされていました。
新聞のテレビ番組表を見てビックリしました。
テレQ(キー局はテレビ東京)の3月11日朝4時30分から翌朝3時までの約24時間の番組表には、東日本大震災関連の番組は一つもありませんでした。
17年前の阪神淡路大震災の時も某国営放送はじめ他局がヘリコプターから絶叫している時に、この局はTVショッピングと時代劇をやっていました。
受信料を強制的に徴収する某国営放送が、視聴者全般に押しなべて当たり障りの無い放送をしてしまうのは仕方の無いことです。しかし民放が何を放送しようが、倫理的にさほど問題が無ければ、直接的にはお金を貰っていない一般視聴者から、とやかく言われる筋合いはありません。こちらは見なければ良いだけです。
実は、テレビ東京は私の一番好きなテレビ局です。
40年以上も前に民放が1局しかない熊本から上京した私は、まず民放が5局あることにビックリしましたが、だんだんテレビに慣れてくると、それぞれの局の特徴に気付き始めました。
3局はあまり違いが無く、Fジテレビは報道よりバラエティに強く、そしてテレビ東京は何とも捉えがたい妙な面白さがありました。時々オドロオドロしい特番もあります。食べ物で言えば、体に良いか悪いのか分からないけど、またすぐ食べたくなるB級グルメです。
アイドルよりキレイな女子アナを大勢集めている他局に比べ、少数精鋭で堅い報道からバラエティまでこなします。それも司会という第3者的立場から(意図的に?)踏み外すことも多々あります。
某国営放送では、番組内では踏み外すことはまずありませんが、プライベートなところで踏み外す方が時々おられます。
夜11時からのニュース番組「ワールドビジネスサテライト」は、どれも同じような他局のニュースに比べて格段に面白く、海外特派員はまともなメイクさえしていません(たぶん自分でしています)し、新商品の紹介コーナーでは女子アナがヘタな小芝居までします。
親会社があの堅い「日本経済新聞社」というのも笑えます。
地元のテレQも、他局のように(どこの地方も同じでしょうが)午後や深夜に同じ顔ぶれの、地元のドンに仕切られたローカルタレントがバカ騒ぎすることもあまりありません。
未曾有の不景気の上、いつもネタ切れで大変な業界(某国営放送を除いて)でしょうが、くれぐれも同じ方向を向かないことを期待致します。
言葉は時代によって変化して行きます。それはどこの国の言語でも同じです。そしてどこの国の人も無意識に母国語を話しています。しかし日本語は難しいです。
挨拶一つとっても訳が分からないことが多いです。
最近のガムのCMで、K村Kエラさんが関西弁でしゃべってます。
「ほな さいなら」
「ほな」は標準語なら「そういうことなら」という意味でしょう。
「さいなら」=「さようなら」=「そういうことなら」
つまり同じ言葉を2回繰り返しています。
そもそも別れの挨拶で「そういうことなら」と言う国は他にあるのでしょうか?
英語なら「GOOD BYE」=「GOD BE WITH YE」=「神様があなたと共にいますように」
GODがGOODになったのは、他の挨拶である「GOOD MORNING]「GOOD AFTERNOON」等に影響を受けたためらしいです。
「おはよう」は相手が早い時間から活動開始している勤勉さを賞賛しています。
「こんにちは」「こんばんは」は「今日の調子はいかがか?」=「HOW ARE YOU?」でしょう。
「おかえり」「ただいま」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみ」の意味はそのままです。
「ありがとう」=「有り難い事です」=「滅多にないことです」
英語なら「THANK YOU」=「あなたに感謝します」
中国語なら「謝々」=「感謝します」
なんと直接的なんでしょう。
「こんにちは」の代わりの「どこ行きよっと?」「どこ行くねん?」はこれまでは通用しましたが、これだけ世の中が殺伐になると「おまえの知ったことか!」と言われかねません。
「すみません」=「済みません」=「このままでは終われません」
ということは謝るケースだけでなく、お礼を言う場合にも使用可能です。
つまり謝る場合は「私がしたことは、このままでは終われないくらい悪かった」
お礼の場合は「あなたがしてくれたことは、このままでは終われないくらい嬉しい」
主語が変わるだけで、両方に使います。
したがって「申し訳ありません」も同様にお礼の際にも使われます。
日本が東アジアの旧植民地国にいくら「すみません」と謝罪しても、「だろ!済む訳ないだろう!自分で済む訳ないと言っているんだから!」といつまでも言われます。
「どうも」は意味不明の万能語です。ハワイ語の「ALOHA」でしょうか?
国会中継をよく見ます。
最近よく聞く言葉は、セイドセッケイ(制度設計)、ガイゼンセイ(蓋然性)、タンポ(担保)、ゴギロン(御議論)、オシメシ(御示し)等ですが、一般社会ではあまり使われません。
敬語は難しいです。一般的には、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3分類ですが、
最近は、それに丁重語、美化語を加えた5分類になっています。もう私ら普通の日本人では使いこなせません。
天皇陛下が無事にご退院されました。嬉しく思います。東日本大震災追悼式典ご出席への並々ならぬご決意が感じられます。
術後の記者会見で実際に執刀したJ大学のA教授の言葉使いは見事でした。しかし中央に座っていたT大学のO教授の敬語はかなりおかしかったです。日本のトップの大学のトップの医学部のトップの診療科である心臓外科のトップの方でしたが・・
例えば「皇后様が病室に参られて・・」という具合でした。「いらっしゃって」、「お見えになられて」、「お越しになられて」でしょう。尊敬語と謙譲語の誤用が気になりました。まあ天皇陛下の手術を担当するということは、そのくらい緊張するということかも知れません。
東京大学順天堂大学共同医療チームとは陛下のことを考えての最善の選択だったのでしょうが、その評価は分かれることでしょう。ご入院されたのは東大病院でしたし、O教授はさぞ悔しかったと思います。
昨夜のFジテレビのニュースでは「警官が犯人を逮捕する際にオデコを負傷しました」と・・
すかさず「ヒタイだろ!」と画面にツッコミ入れました。